桜咲く はっぴいえんどの不思議な威力 スガシカオ「SugarlessⅡ」

今年も桜の季節になったなぁ、と思う。そう書くしかないのは、どうもそれどころではないからかと思う。
自分がこれほど弱い人間だと痛感させるのに、世の中は苦労しやしない。そんなことは砂のように捨てるほどある。

最近の自分のことについてはうまく言葉にできないほど大変でした。周りの人、例えば職場の人たちや身内とは言葉を交わしていましたが、必要最小限であったかと思います。
またそのときが来たら書くこともあると思います。

今日は別のことを書く。
車で音楽を聴いていると、道行く人の表情やしぐさなどが妙に目に入ってくることがある。
どんな音楽でもそうなるわけではなく、一部の音楽、一部のミュージシャンの作る音楽や歌であることに、色々実験してみてわかりはじめた。

それは音楽が流れたとたん、そういう特殊なメガネをかけたみたいに目に飛び込んでくる。
人々の話、ちょっと考え込んだような顔付き、何かを抱えて歩道を歩く子供の真剣な足運び、自転車で買い物に行く力強いペダル運びの人、コンビニの店先でごみを拾う制服の店員等、町の営み、その日々の細かな表情が目に入るメガネだ。
逆にその音楽をかけると、周りの景色が遠のき、その歌の世界がスポットライトを浴びるように浮かぶ音楽もある。
景色になじまず孤立したような歌であり音楽だ。

前者の歌、目の前のリアルな街が、表情を見せる音楽の効果に最初に気付いたのは「はっぴいえんど」の歌を車で聴いていたときだった。
わたしはこの伝説的なロックバンドのことを随分最近になり知り、車で聴いていて、ある日バックミラーに写るバイクの運転手のヘルメット越しのまなざしに妙に気を引かれたことがあった。
それはそれまでなかった体験で、はっぴいえんどの曲が流れてないときにわたしが運転中に見ているのは、自分の進行を邪魔する、単なる障害物としての車や人でしかなかった。
これは意外な発見で、以後気にして車でかける音楽を変え目に写る風景の感触を試した。

対向車線を走る車も同じ人間が運転する名前はしらないが自分と同じように日々苦労を抱え今日人生の旅路を急ぐ過客なのだな、とオーバーだがすんなり思えたのはやはり「はっぴいえんど」の歌であった。
意外と細野晴臣の歌より大瀧詠一の歌の方がその力は強く感じた。もちろん細野さんの歌もそうした効果はある。大瀧さんの声それと歌いかたと松本隆の詞とがドッキングしたある種のパワーがそうした「視力」を聴くものに与えるとしか言いようがない気がする。

他に同種の効果を感じた音楽にビートルズがあった。
日本ではスピッツはかなりその力があり、あの草野くんははっぴいえんどの遺伝子を着実に継承している音楽家だと認識した。

そして最近発見したのがスガシカオだった。

スガシカオのピアノバージョンの「プログレス」(あのNHKのテレビ長寿番組「プロフェッショナル仕事の流儀」のテーマソング)が収録されている「SugarlessⅡ」というもう出てからかなりたっているらしいアルバムを気まぐれにレンタル屋さんで借りて、パソコンにコピーして入れた、それが去年の4月。
今年、いろいろ大変なことがありパソコンで情報を漁っていて、気晴らしになかに入っていたこのアルバムデータを呼び出してやっとCDに焼いた。
そして車でカーステレオに掛けて聴いた。
いや〜これは久々に身に染みました。
いい曲ばかりあります。

いま桜が満開でそれを素直に眺められないほどなんだか忙しくつらい自分がいて、そんないまも桜はそんなことみじんも気にせず咲き誇っている、という事実があって。
そして、夜、車でスガシカオを聴いて走っていると、なんと夜桜がよく通る川端の並木道にきれいで。

まだ待ってくれている、そして来年でも、今年あったつらいことなんか忘れて桜を見れる時期がきたらまた咲いてくれるだろう、そんなことまで、つまり希望込みで、咲いているような気がする桜。
それを気付かせてくれる歌。
困ったときぜひ聴いてほしいとわたしは思うアルバムです。