この間から、コインランドリーのことを少し話題にしているが、なぜかといえば洗濯機が壊れかけているからだ。ラジオではないので、洗濯機が壊れかけても歌にはならない(笑)。
ところが、気まぐれにちゃんと動くので、買い換える気にはならない。先日も、ちゃんと動いていたのに、急に動かなくなり、一週間ほど我慢していたが、さすがにランドリーへ駆け込むことになった。
どういうふうに壊れているかというと、脱水とそれに類する動きになると、止まってしまうのだ。全自動の洗濯機には、すすぎのとき、軽く脱水をするプログラムがされている。なので、すすぎもできないことになる。
だが、すすぎは洗濯モードを石鹸なしで行えばかろうじてできる。問題は、脱水だ。昔は、手で絞っていたのだろうが、もはや洗濯機に慣れきったわたしには即答で「無理」。
脱水だけのために、ランドリーへ行くのももったいないので、洗濯物をためていたら、さすがに着るものや母の排泄介助につかう下用タオルがなくなってきて、尻をたたかれるように、洗濯物を車に詰め込んでランドリーへ走っていたのだった。
しかし、ついこの間、ためしに使ってみたら脱水がまたできるようになった。
この洗濯機の不調の期間、実は母が軽い肺炎になり、熱が下がらない状態でずっと過ごしていた。先週からやっと熱が下がり、食事もできるようになってきたが、まるでそんな状態に合わせたかのような、動きの悪さなのである。
もともとは、母が使い続けていた機械なので、何か感じているのかもしれない。
25日は毎月恒例のT正寺のブッダ・カフェであった。参加したりしなかったりで、また最近、常にタイムリミットに追われており、昔のように最後までいれないのであるが、いつも参加されている方への言付けもあり、少しの時間になってしまうが、それを覚悟で、ちょっと無理して参加した。しかし、いろいろと収穫はあった。
なかでも、主催者のT野さんが、話してくれた『言海』という、日本で最初の近代的辞書編纂の話は、興味深いものであった。
少しの時間聞いただけの話なので、ここに詳しく書くことはできない。また、正確にはT野さんがたぶんどこかに発表される予定とのことで、いまわたしがこうして書くことにもし問題があれば、いけないのであるが、どこが興味深かったかだけ、自分のために書いておく。
この辞書編纂の作業は明治政府の国家的事業なのであった。おそらく、お金も出ていたであろう。だが、それ以上に、この事業は編纂者の言葉への情熱を傾け、その発露ともなる個人的な仕事でもあった。
つまり、その編纂者のライフワークでもあったのだろう。
この種の事業や仕事というものは、たぶん歴史に名を残す人たちに共通の個人的なフィールドと公的なフィールドとの幸福な掛け合わせが存在すると思われる。公的な縦軸と私的な横軸が重なり合う場に、その個人の情熱が加わると、ある種の限界を突破し、それが行われる前には到達不可能と思われたようなことをやり遂げてしまう、みたいな。
ところが、昭和初期に日本が満州の植民地経営に乗り出した頃、蒙和辞書を編纂する必要が生じ、同じように民間の研究者が公費を使ってだろうと思われるその事業にあたることになった。
固有名は忘れてしまったが、そういう事実があり、この蒙和辞書の編纂のことをT
野さんが調べているうちにあることに気づいたという。
それは、明治の頃の『言海』とこの蒙和辞書、民間の学者が委託された国家事業として、両者の成り立ちは同じなのに、「ベクトルが正反対を向いている気がする」とT野さんが言っていて、それが非常に面白かった。
どういうふうなメカニズムで、ベクトルが反対向いてしまうのか、そのあたりのことを調べると、この明治の時代と昭和の時代の、まさに反転したかのような歴史の秘密を説明できるかもしれない。
わたしには、それがなぜそうなるかはまったくわからないが、T野さんが言っている意味「ベクトルが正反対」という状況は、よく想像できる気がした。
というのは、昔働いていた企業でも、それとよく似た状況は発生していたからだ。
私的ながんばりが、会社のためにもなることで、経営は良好になる。反対に、会社の仕事であっても、それを私的なくくりで切り取ると、「公私混同」というべき堕落を呈していたりするケースもあった。
特にサービス業であったようなわたしの前職では、お客の扱いが、特別扱いになるとき、あきらかに私的でもあるのになんとなく気にならないで、公的に許容できるものと、私的な意向がいやな感じででてしまい許容できにくいもの、とに二分できたような気がする。(具体的な事例はなかなかおもいつかないが、、)
近頃ずっと話題になっていた「M友学園」問題も思い起こされる。こうした事例で、許されるケース、もなかにはあるはずだ。なぜ一方は許され、他方は公私混同になるのか、その「公私」の交わりのメカニズムがわかれば、納得いく説明ができそうだ。
わたしには、それはうまく説明がまだできないが、T野さんが「ベクトルが正反対」という表現をしているのが、言いえているように思え、面白かった。