11月13日、14日 中国と村上春樹について

散髪に行く:前に行ったのがいつだったか、会社の合併のことを話していたので、心配してくれていた。(もう学生の頃からそこに行っている)いちおう今就職活動中と答える。そのあとやはり日本企業より中国、アメリカよりヨーロッパEUやろうという話になる。中国は自動車を含め世界の工場と化している。電気自動車もヨーロッパの基準を満たし、進出する。トヨタも日産もまだ追い付いていない。
EUは、ベルリンの壁崩壊20年の今年、リスボン条約を締結、本格的に大統領を選出、アメリカより巨大な合衆国が生まれる。
世界が急ピッチで変化しだしている。

村上春樹:帰ってからテレビのニュースで、村上春樹の新作「1Q84」の中国語訳がこの日発売前日でそのフィーバーぶりを報道していた。なんと初回配本が20万部とのこと。「ダ・ヴィンチコード」が4万部だったといい、その5倍だ。日本より読まれている?
なぜそんな人気があるのかとレポーターがインタビューしていたのは、村上春樹を研究するために日本に留学しているという女子学生だった。
中国の国情を如実に物語っている。一部かもしれないが、急激に消費社会化しているのだ。
中国人はどらえもんをはじめ日本の著作物を自国オリジナルと主張し疑わない国だが、文学はやはりそこまではごまかせないと思っているのか、読んでいるのが「知的なブルジョアジー」だからなのかそれはさすがに大丈夫なようだ。
「意味がなければスイングじゃない」:この間読んでいると書いた村上春樹のエッセイだが、悪口を書いてしまったが、この本は類いまれないい本であった。ここまで真摯に音楽を語って誤ってなく、しかもその音楽を深く愛してやまず、読者をしてその音楽に触れささずにはおかない魅力溢れる文章に久しく合っていない。
あるとすれば、あの癖のある小林秀雄の古典的な「モオツァルト」五味康介という武芸小説家兼易者による「音楽巡礼」、吉田秀和「主題と変奏」、山下洋輔「ピアニストを笑え」シリーズ(しかしこの本は音楽論じゃないが)はっきりいってロックでは本としてはあまりお目にかからない。
村上さんはなんとこの本でブルース・スプリングスティーンを語っていて「あれっ」とびっくりした。
実際彼の小説にはビーチボーイズビートルズ、ドアーズ等60年代のロックミュージックは出てくるが、70年以降の音楽はあまり出てこない。
さすがに「海辺のカフカ」で15才の少年を主人公にしたときはレィディオ・ヘッドを聴かせていた覚えがあるが…。実際この本の中でも70年代以降の音楽は聴いてなかったがスプリングスティーンだけは例外らしい。
スプリングスティーンはレイモンド・カーバーと共通性があるそうだ。
中国の留学生は村上さんの初期の短編集「中国行きのスロウボート」をどう読むのだろうか、興味深い。
あの物語の中国人の女子学生のように黙り込むだろうか。いやもうそんな中国は消滅してしまったのだろう。うっすらとした非常に濃度のうすい甘い夢が、かつては中国に対して昔あったような気がするのだ。
そんな日本の見方自体を彼らは糾弾しつつ、日本に追い付き追い越そうとしている…
先日京都駅前のベローチェで書店のカバーをはずしたばかりの「ねじ巻き鳥クロニクル」の文庫を一心不乱に読んでいる若い男子(スポーツがりっぽい頭の)を見掛けたが、日本の若者にはそういう熱は一般的にはないみたいで、気になる。