2009年の個人的体験〜空白の7日間に考えたこと

1、退職後3日くらいはまだ正常といえた。しかし4日目からなにかすこしづつおかしくなっていた。
ただそうしたものはいずれにせよ潜り抜けなければならないものなのかもしれない〜(なんかやけに深刻でごめんなさい…)
何て言うか、独特な感じだ。人間は、べつに見掛けは正常で自分でそう思っていても、堕落するのがありありと分かった。
クスリや酒、ギャンブルをしてたわけじゃない。(当たり前だ)
思うことが、たとえば、みんな過去に向いていく。昔はこうだったでも今はなんだかおかしい〜高校の卒業アルバムみたりとか〜きっかけがあったからだとしても、おかしすぎる。
考え方が「動脈硬化」的になる。
しかしどうもそれはいままでずっと準備されていたものなのかもしれない。これは「危機」なのかもしれない。
とすれば、これは変わるために用意された試練?とも言える。
2、ただ、こうしたときにあまり
日頃やってないことを急にやってはいけない
これは大事だ。よく少しこの機会に長年やりたかったことをやりまくろう、みたいに思いがちだ。
でもまだ何もしないほうがいい。
いつも毎日やってたこと〜仕事であれ受験勉強であれ〜がなくなったこと〜これはなにより心にとりつらいことらしい。つらいというのがちがうなら、「あれ?」と自分で思う以上に感じるものらしい。
からしばらくそのつらさに寄り添うほうがいいのだということがわかった。
急に空白になったお腹にいきなりものをつめこむと下痢するように。
そんなに急に習慣を変えれないのだ。
だからできるだけいつもと同じことを(フリでもいいので)するか何もしないほうがいいということがわかった。
そのために日頃から、仕事以外のいわゆる趣味を仕事の合間にしておくことは大切だ。
そういう趣味が多いと自分で思っていたのに軽くこういう現象が起こる。
3、こういうことは別段必要じゃないノウハウかもしれないが、とくに家族があまりあれこれいわない境遇の人、シングルの人は特に気を付けた方がいいと思う。
何となくセンチメンタルになり、いいことが考えられず、世界はどんどん悪くなり(残念ながらニュース等を見ると少しは事実だが)、体調が毎日悪いとよけいな心配をしたり、自分には到底できそうにない(普段の自分ならすぐわかるのに)ことに取り組もうとかと思ったり、ますます心と身体が解離しだす。
現実が見えなくなり、またそれを見るのが怖くなる。
自分で生活をある程度コントロールできてしまう環境にいると、人間はこのようにろくでもない想像をふくらまし、現実を無視して走り出してしまうらしい、と今回あらためて思わざるをえなかった。人間の心の複雑さをあらためて知った。
まだちょっと抜けきれていませんが、たぶん、大丈夫だと思います。
もし同じ立場に陥る?ことがあれば、気を付けてほしいことです。
大きなお世話かもしれませんが〜
この期間、少しだが事務的な用事もこなし、幾人かの方々と食事や話もしたりしました。
しかし、その間中、じつは「妄想」と闘っていたのです。
(一言メモ)今日行ったところ:京都駅前(京都タワー横)の「茶花」(お好み焼きや)。ここに昔見たことのある人(お客)と瓜二つの店員さんがいた。同一人物?まさか。
今日聴いた音楽:ビートルズ「オールディーズ」久しぶりに聴く。なんて新鮮なんだ。
今日読んだ本:『意味がなければスイングじゃない』(村上春樹著・文春文庫)普通は相当にキザだなぁとしか思えないことを、すっとやってしまう、憎めない不思議なキャラと文章の持ち主。(たしかに昔そういう同級生がいなかった?)