天野祐吉コラム「失われた風景」とNHK /SONGS「やもり」との輝ける関係

今日は暑かったが、先週末、畑を手伝いに行った日吉町の佐佐江では、畑の畦や農家の庭にコスモスが一面に咲いていた。
新聞で見ると、どこやらのコスモス園は、猛暑のため、まだ二分咲きとのこと。
むかしは、わたしが子供の頃、まぁ30〜25年前、コスモスなどいたるところにあった。
いまや、そういう自然公園で見るものになってしまったのか…。
身近にあった、あんパンみたいなものが、高級菓子としてホテルでしか食べられない、みたいで(ちがうか)、少し寂しい。

秋桜と書いて、コスモスと読む。山口百恵がわたしたちに教えてくれた。(作者のさだまさしが、というべきか)
嫁ぐ娘が、母への感謝と別れの悲しさを歌う曲だった。その気分にコスモスが似合う、それは日本人の心の風景だった。
しかし、いま身近にそんな風景は存在しない。歌は残ってはいるが、その命がいつまでもつのだろう、そんな心配がつのる。

今日の朝日新聞天野祐吉のコラム「CM天気図」で、「なつかしい風景を見た」と、宮崎あおいブルーハーツの歌を歌い歩いていくコマーシャルを取り上げていた。
そのなかで、
「昭和が本当に豊かだったのは、昭和20年代の後半から30年代にかけての十年間だったと思う。」
と書かれていた。
東京から大分離れた関西の郊外では、それにプラス5〜10年を足してもいいだろう。
昭和30年代後半から40年代後半、わたしが生まれて小学校高学年までのあいだだ。
今にして思えば、のどかな田園があたりに広がっていた。
天野さんはさらにこう書いていた。
「懐古趣味で言うのではなく、昭和のあの十年間には、ぼくらが失ってはいけないはずの風景があった。」

昨日の衝撃的な事件、エースだった検察官の逮捕。われわれは「正義」さえ失った。
そんなに喪失感はない。気付いたら、失っていたのだ。
たぶんちょっとづつ失い続けていたのだろう。
それは、コスモスが気付いたら、身近になくなっていたのと似ている。
風景を失うということは、そういうことなんじゃないか。わたしたちは、知らず知らずに大事なもの、親子の絆(子供の事件多発)、友情(いじめや自殺)、上司や部下(合併リストラや派遣の横行と首切り)、政治家(度重なる不祥事)、教師(これも不祥事)そして正義(証拠偽造)とこれだけは失ってはならないものを、いとも簡単に失い始めている。
そして多くの場合、諦めてしまっている。
なぜか。
たぶんその天野さんがいう「原風景」を見失ったからだろう、とわたしは思う。
しかし、その風景はなくなったわけではない。
市街から車で約一時間もすれば、懐かしい風景は、たぶんまだ今の日本なら、どこでも広がっている。
ただ日常の視界に入っていないのだ。
会社生活の時、わたしもそうだった。追われ追われて、それどころじゃないのだ。
どうすれば、風景を取り戻せるのか、それについて、ヒントをもらう機会が、さらに今日あった。
23時からNHKでSONGSという番組があった。そこで矢野顕子と森山良子が「やもり」というユニットを結成しているらしく、コンビで作った新曲を二人で歌っていた。
矢野顕子の曲は、ピアノ伴奏だけの、独特の世界だが、そこに元祖フォークの女王森山良子が、加わると、ハーモニーが生まれ、また別な世界が出現していた。
この豊かさはなんなのだろうか、彼女たちはいったいいくつなのか。
子育てが終わって、やっと自分を見つめる時間ができ、というと、お父さんとゆっくり旅行でも、みたいな黄昏た世界のはずだ。
しかしこの人たちのやっていることは、基本は同じで「温泉に行こう」という曲を歌っているのだが、行き方がかなり違う。
これからが本番なのよ的な、積極的なノリがあるのである。
たぶんオバサマ方は、あの「懐かしい未来」の大貫妙子と似た世代なのではないか?
天野さんの語る「昭和20年代から30年代」に黄金の子供時代を送った人たちである。
あの頃の「原風景」がアッコさんの曲にも、森山良子のうたにも濃厚に出ているのを、感じた。
かくも、子供時代の「風景」は、貴重な宝物なのである。
それは生きるパワーとなり、曲や歌声にあふれていて、やむことはない。
先日紹介した、はっぴいえんどの多くの曲にも風景があふれていた〜。
失われたのは、そういう心の原風景となりえる、生活環境なので、いまの恐るべき現状は、その遠い結果なのではないだろうか。
またまた、天野さんのコラムだが、最後にこう結ばれていた。
「景気の回復も必要だが、日本の政治にとっていちばん大切なテーマは、失われた風景の回復じゃないのかな」
まさにそう感じさせる二人のユニット「やもり」の快演であった。
ちなみに、来週水曜のSONGSは、懐かしい山口百恵の特集らしい。
秋桜のいまやまぶたにうかぶのみ
(↓佐佐江のコスモス)