京都工繊大・美術工芸資料館「もうひとつの京都」展、ギャラリー知(とも)再訪、ニアの油絵展

今日はいい天気だった。日差しが明らかに暖かめになっている。空気もはりつめたものが消えている。こんないい日に、アートに触れれるとは、喜ばしい。とりあえず、喜ぼう。
大阪は堺市に住んでいる大学時代の友人S君が京都工芸繊維大(京都人は「こうせん」と呼ぶ)の工芸資料館に誘ってくれ、一緒にみた京都のモダニズム建築展「もうひとつの京都」、これは実にいい展覧会で、さすが日本の工業デザインを支える工繊大ならではの特徴を感じた。

ここでいうモダニズム建築とは、合理主義と社会改革的な思想を背景にして、装飾を排した抽象的な形態と空間構成を重視したデザインを志向する近代建築のことを指しています。モダニズム建築は、20世紀初頭のヨーロッパに始まり、世界的スケールで展開されました。(略)
 1200年の歴史を持つ京都は、関東大震災や太平洋戦争によって焦土と化した東京や大阪とは異なり、ほとんど無傷なまま、木造文化の伝統と歴史的町並みが連続してきた稀有な都市です。

(「もうひとつの京都展」チラシより抜粋)
で、京都の中にぽつぽつと残っているそれらのモダン建築のなんと模型と、設計した建築家をひとつづつ紹介している。以下は、かなり当時としては意欲的で前衛的な「作品」だったことがわかった。
あの新風館(今一部工事中?)、元は京都中央電話局で1926年に建築、1931年に改築されたモダニズム建築の代表である。その模型もあった。やたら大きい。負けない大きさで、いまや「フレスコ」とコナミスポーツクラブと化しているあの鴨川の川べりにある建物、あれも実は電話局だった。
大きいのではそれ以外に、先日命名権ロームが買い取った京都会館(1960年)、
京都タワービル(1964)、国際会議場(1966年)、京大体育館(1972年)、ホテルフジタ(1970年)、同志社女子大図書館(1977年)など。
個人の邸宅としては衣笠にある本野精吾邸(1924年)、山科の聴竹居(1928年)など。
同志社のアーモスト館ゲストハウス、桂のカトリック教会は、万博のパビリオン並みの芸術性を持っていた。なんと、京都信用金庫の各支店もモダニズムに入れられていた。たしかに建物中央に太い柱を一本立ててあり、写真でみるとどの支店も、煙突のような丸い柱を屋根から突き出している。(お近くの支店をぜひご覧ください。わたしが帰りに北山店を通り写真を撮ってみましたが、夜なので見にくいです。↓)

それらは、先人の英知と血肉の結晶で、ふだん何気なく見ているが、かなりな労苦の結果建てられたものである。そのことを痛感した。
おそらく、これらの時代は、安土桃山から江戸時代にかけて「数奇屋普請」が建てられた時期、京都の桂離宮、曼珠院門跡が代表的だが、に匹敵するような新しいアートとしての建築様式を追求した時代だったのではないか。そしてモダニズム一辺倒というより、住む人、利用する人の快適さを考え、日本の伝統美との融和をめざすか、対立的発展をめざすか、建築家は大いに悩み、ひとつづつ問題を解決していたらしい。
この展覧会は、よかった。見ている方が、少ないのが残念。入場料も200円と安いので、ぜひご覧ください。それと併設展として、2月24日まで「手の中の世相」というマッチのラベルコレクション(工繊大に保存されている)もあります。
そのあと、「松ヶ崎」から地下鉄に乗り、「丸太町」で降り、先日も訪れたギャラリ知(とも)をS君に紹介する。
そこへ行く途上、竹屋町通を東へ歩いていると、さっき工繊大の展覧会で古いマッチラベルに見かけた「ボア」という名前と、まったく同じ名前の喫茶店に出くわした(写真)。Sくんに「あれはもしかするとマッチの店では」と言うと、たぶんそうだと彼も言っていた。

たしかにあまりありそうにない名前だ。「ボア」という言葉は、S君はよく知っていて、「大きな蛇」のことだという。京都にはたしかに、時々信じられないほど古いものが、平然と残っている。司馬遼太郎がいつか書いていた。昔、西本願寺に寺社担当記者がたむろする休憩室があり、そこでお茶を出していた方の先祖が、秀吉にもお茶を出していたということに驚嘆した話だった。お化けが出たようなおかしさがある。
ただ、当今そういうことも昔より減っているだろう。町並みは年々変わり、人の気風も変わらざるを得ない。

ギャラリー知(とも)の店主はいつも機嫌がいい。先週来たばかりだが、お茶を出してくださる。わたしは先日参加した京都の芸大生の作品オークションのパンフレットを持参し、参考に渡した。価格はある程度妥当なものだと店主は言っておられたが、通常ギャラリーであれば、そのギャラリーの店主の鑑定(その作家を見出したプライドみたいなもの)による価格がつき、それがお客との信用関係で成り立つ世界らしい。オークションは、それらの市場とは違うやり方だ。ただ、習作だから、一律5000円からになっていたのであって、もしプロの作品であれば、また違うやり方になるのかもしれない。(このオークションの報告をサイトで見つけました。途中から見学したため、わたしは知らなかったが、結構高額で落札された作品もあるようだ。→http://www.consortium.or.jp/contents_detail.php?frmId=1849
あと、オークションでは、作家が直接会場で自作にコメントしていた。それらのパフォーマンスも値段に反映するかもしれない、とわたしが言うと、知店主もS君も「絵に語らせること」が大切なのでは、と作者コメントには否定的だった。
抽象画でタイトルがついていて、タイトルも作品の重要な要素であるような作品がある、このことも疑問だという話などをする。見ただけで、なにかわかるのが作品であるべきではなど。これは、「具象画派」と「抽象画派」で意見が分かれる問題。
しかし、わたしもS君も、素人丸出しの話で、あまり店主の邪魔をしてはいけないので、次なる目的地、元田中にあるカフェダイニングニアへと向かう。
このカフェは、店内に絵などの展示スペースがあり、今回は「室内劇」というタイトルの油絵展を開催していた。(ギャラリー知にも告知葉書がおいてあったし、店主が知っている画家だといっていた。)
さて、店内に着くとさっそく絵を見る。こちらの絵は、静物画で、二人の作家のジョイント展だった。男性(浅野さん)の絵はリアリズム、一方の女性(岡林さん)は独特の灰色トーンの背景といすや机、ベッドの色が浮き出るように描かれ、夢のような世界を表現していた。静物を描くが幻想的な作品。二人の個性が違い面白い。
この油絵展は、3月2日まで。→cafe dining near ∽ gallery near|京都 左京区 元田中 作家・クリエイターが集まる地下ギャラリー+カフェ
S君に、一日中言われた。「京都の人は気軽に自転車でも歩きでも、ギャラリーめぐりや大学構内に入れていいな〜」京都の方、そうみたいです。この際、この利点を満喫すべきか。確かに大学が一箇所に集まり、個性的なカフェやギャラリー、本屋、古書店が出店し、いい意味で競争している気がする。