本野精吾邸について 「もうひとつの京都展」

先日行った京都工繊大の「もうひとつの京都」展で見た、京都の代表的モダニズム建築である本野精吾邸は、衣笠にあるR大学の東門を出てすぐ右の細い道にはいると右手にあらわれる。
「無限洞」という喫茶店が昔からあり、ちょうどその正面に、木に囲まれた四角い洋館が、大学の建つ前から当然あったのだろう、ひっそりと建っている。

S君は大学時代から、この建物のことを知っていて、「無限洞」に行った時になかから見たりしていて、R大学の東門に近いI学館という校舎の階段からも見下ろせたと言っていた。

当時、聖飢魔Ⅱというヘビメタバンドが「蝋人形の館」という歌をヒットさせていたが、彼はその歌のイメージに似た「錬金術」的なことが、その館のなかで、行われているようなイメージをしていたという。

たしかにそれらしい雰囲気はあるが、かなりモダンな凝ったデザインであるのがよく見るとわかる。壁はすべてコンクリートブロックのむき出しである。当時も今もそんな建物はあまりないだろう。色は黒っぽく変色し、やや派手に塗装したり外壁に煉瓦やタイルを貼ってないシンプルさに感覚の新しさを味わえる。

こうしたブロックは普通、ガレージの塀くらいにしか見掛けないが、実は工夫された工法で作られている。設計した本野精吾は、関東大震災で中村慎(まもる)という人が考案した工法で建てられたブロック壁が、地震後も残っているのに注目し、同じ工法を採用したらしい。

しかしこの設計者の本野先生は戦前に亡くなり、長くご子息の家族が住まわれ、今もそうかもしれない。
(本野精吾邸を紹介したブログを発見しました→西澤研ブログ 本野精吾自邸

いずれにせよモダニズム建築は、文化財であるにせよ、京都ではほとんど今も使われている施設であり住居であるのには驚く。

これには京都の人の物好きな嗜好がでているような気がする。

先日のブログで紹介した、モダニズム建築の建築年代をあらためて見ると、比較的新しいものも40年以上経っている。周知の通り、京都会館はハイテク企業ローム命名権を買い取り、近く建て直しされそうだが。他のものも、いま新風館が手直しされているのを見ると、かなり老朽化が進み、手入れも大変だろう。

たしかに見た目に古さも感じなくはない。しかし新しいいまの建物にない、優雅さや手の込んだアイデアがおそらくありそうだ。それは残しつつ、再生してほしい。

文化財と呼ばれる建物は、たとえ公共施設でなくとも、みんなの財産かもしれないのである。

今までそれをたぶん生き残らせてきたのは、災害をいままでは免れてきた京都の幸運と、一種風変わりな京都人の趣味人的な風土であるのを、あの展覧会は感じさせてくれた。
河原町丸太町にある元電電公社建物に新しくできたFRESCO