幸田文『雀の手帖』(新潮文庫)より〜「三月尽」と朝日新聞夕刊より〜鶴見俊輔『身ぶり手ぶりから始めよう』

本を途中まで読んだまま、おきっ放しにして、どこにいったかわからなくなる。わたしの得意技のひとつである。ある日、本棚を見て、なんとなく取り出し、また読み始める。買ったのは、もう何年も前だ。
そうやって、本を「寝かす」と、ウイスキーやワインのように味が出ることがある。本好きの人が、そう書いたり、言っているのを聞く。たしかにそうなのだろう。
この文章は、今日、別の本を探していて、手に取った本の中に目に付いて、おっ、と思ったので、長いのだが、引用する。

 三月が終わる。ついこのあいだ二月尽を書いたのに、もうまた三月が済んでしまう。毎年、足の早い月でとてもかなわないのだが、ことしもまた追いたてられた。それなら、追いたてられてどんなしごとをしたかというと、目ぼしいことは何もしていない。

 それでも、記憶に残っていることはいろいろある。けれども、したことの記憶よりしなかったこと、果たせなかったことのほうがはっきり残っている。警視庁の寺本課長を一日中追いかけて、荒川の通り魔、高井戸のスチュアデス事件、立川の殺人くさい状況下の自殺−−−と飛びまわって、しかもとうとう記事にできなかったのなどは、いちばん印象ぶかく残っている。書けなかった原因は「不納得・不十分」である。何でもかでもいいから記事にしてしまうというなら、一日じゅうこれだけ駆け歩いていれば二十枚や三十枚の材料はある。けれどそういう材料は、中心点からずっと外側にころがっている材料だ。私のほしかったのは、たとえば溶鉱炉の釜のなかのよようなものであって、工場の塀のきわにこぼれている鉄粉を与えられても、うんとは言えない。そりゃ鉄なら粉でも打てば火花は出るけれど、一瞬の火花であの炉のなかを推察するようなことは、私はすべきではないと思っている。

 だいたい私が人生の大部分をと言えば大袈裟だが----暮らしてきたのは、主婦の座であって、主婦というしごととはかんだのこつだのが発達する一方に、ひどく何でもかでもが「実際」である。米は金をもって買い桝をもって計り、水をもって洗い、火をもって炊く「実際の納得」がある。これが主婦根性である。かんだのこつだのという名人芸のうちにはいる理解のしかたも尊敬はするけれど、それだけに頼ろうとしないで、実際に納得しなければ安心はもたないのが主婦の性格である。あの一日を書く気になれないのは、塀のまわりを回った一日だったからで、主婦根性から来た抵抗だとおもっている。いつかまた改めて、警視庁へ寺本さんを訪ねようとおもう。そして書けなくておぼえている印象を、書けて忘れてしまうことに置きかえたいのである。

 しかし、この日のうちでもっと印象に深く残っていることもある。それは書けなくて記憶しているのではなくて、書いてみたいと思う風景なのである。あのかたの死体があったという川の風景なのだ。一方は雑木の岸で見通しが利かず、一方は麦畑で遠く見通す。そのなかを水の少ない川が流れて、川底の泥が出ている。ぼろだの木辺だの竹籠だのがきたなく捨ててあり、快晴だのにひびの切れるような風が吹いていて、足もとの萱の立ち枯れを蹴ってみたら、青い芽が三つ、深ぶかと隠れて春の浅いことを示していた。景色はただこれだけなのだが、さてここに漂った「憂い」なのである。それが深い印象になっているのだし、書きたいのである。
 ただし、書きたいのであって、まだ書けてはいず、きょうは三月三十一日である。
幸田文『雀の手帖』新潮文庫 p.138‐9 「三月尽」)

作家としての、身辺の日常が語られているが、印象深い、的確なそれでいてただ事でないがつかみがたい何かに触れている感じがする文章である。
そして、この季節の待ったのない時間の早さにあせりつつも、うなだれから身を起こし、しぶとく闘おうとする姿勢がある。
それは、私を励ましてくれる。

もうひとつ、今日の朝日新聞の夕刊に哲学者の鶴見俊輔先生が、コラムを書いている。震災について。

 あれをとって。それでない、あれ。というような家の中のやりとりが、地震以来、力を取り戻した。身ぶりは、さらに重要だ。被災地ではそれらが主なお互いのやりとりになる。この歴史的意味は大きい。なぜならそれは150年以前の表現の姿であるからだ。身ぶり手ぶりで伝わる遺産の上に私たちは未来をさがす他はない。

(中略)

 長い戦後、自民党政権に負ぶさってきたことに触れずに、菅、仙谷の揚げ足取りに集中した評論家と新聞記者による日本の近過去忘却。これと対置して私があげたいのは、ハナ肇を指導者とするクレージー・キャッツだ。急死した谷啓をふくめて、米国ゆずりのジャズの受け答えに、日本語のもともとの擬音語を盛りこんだ。
 特に植木等の「スーダラ節」は筋が通っている。アメリカ黒人のジャズの調子ではなく、日本の伝統の復活である。「あれ・それ」の日常語。身ぶりの取り入れ。その底にある法然親鸞、一遍。

 (中略)

 言語にさえならない身ぶりを通してお互いの間にあらわれる世界。それはかつて米国が滅ぼしたハワイ王朝の文化。太平洋に点在する島々が数千年来、国家をつくらないでお互いの必要を弁じる交易の世界である。文字文化・技術文化はこの伝統を、脱ぎ捨てるだけの文化として見ることを選ぶのか。もともと地震津波にさらされている条件から離れることのない日本に原子炉は必要か。退行を許さない文明とは、果たしてなにか。
鶴見俊輔『身ぶり手ぶりから始めよう』朝日新聞夕刊 2011年3月31日木曜日 文化面)

この文章も、うなだれから立ち上がろうとしているように思う。この「身ぶり手ぶり」の意味は、深いが、被災地にそれを発見したところに、鶴見先生の「ささえ」が見え隠れしている。おそらく、それによりかろうじて被災者も生きているであろう数千年来の遺産が。