有明の月、開高健と百人一首とジャーナリズム批判

今朝は明け方まで夜勤。帰るときふと東の空を見ると見事な三日月が出ていた。

朝ぼらけ有明の月と見るまでに
吉野の里に降れる白雪
百人一首にある風流なうたが似つかわしかるべく春の寒さなのだが…。
その昔、開高健はアマゾンやアラスカを精力的に旅し釣紀行文をたくさん出していた。たしかそのなかに、雨で釣りができない日などハンモックにぶら下がりながら、百人一首の札を一枚一枚読みつつは放り投げ読みつつは投げしている、という話があった。
日本語を忘れないため作家として編み出した工夫らしい。
なるほど、と当時は思った。
しかしいまやっと彼の苦い皮肉な自己批判がその行為に籠められているのではと考える。
開高健が釣紀行に乗り出す前、彼が旅していたのは泥沼化しはじめたベトナムの戦場であった。
彼がもしこの百人一首をその戦禍の中で思い付き実行していたら、これはあの藤原定家応仁の乱で京が焼け野原になっているなかで、一人花鳥風月を苦吟していたという有名な笑うに笑えない深刻な話をベースに持っていたのではないか。
つまり彼はジャーナリズムの限界を察し、その独善に警鐘をならすため、まず自らを定家に重ね、自己批判と自戒を重ねていたんではあるまいか。
まぬけた歌人に自らをそしてジャーナリズムをたぶらせつつ。
彼の小説は基本的には深い文明批判にえぐられた自己嘲笑自己批判人間批評がベースになっているし、この太宰流の道化の達観は関西人も得意な分野なのである。
地震報道に正義を振りかざす今の新聞やテレビにその自戒はありや。