「原発への警鐘」という本について〜友人からのメール〜U2 with or without you

 前回、コメントの返信で「先見性のある学者が、精緻な理論を展開されていたでしょう」と書かせてもらった。
 そこで、先日わたしの友人から来ていたメールに、その一例と思われる本のことが書かれていたので、以下そのまま引用する。
 ただし、これを以って、現時点でも放射能に汚染された水を大量に海に放流して、国内だけでなく、国際世論的にも矢面に立たされている今の原発行政ならびに東電をこれみよがしに叩く意味合いはまったくなく、いわんや、この以下の文章が、(友人には失礼ながら)公表する目的で論旨を構成し、いろんなエビデンスを熟慮考証したうえで、練られたものでは、さらさらないということをあらかじめお断りしておく。

 ただ単に、わたしは、過去にこういう本がありながらも、「想定外」の震災の結果ではあれ、福島第一原発が、今回のような事態に陥ってしまっているという事実、また、その本がのべている「警鐘」のような意見があることを、うすうすは知りつつ、労を惜しまねば、もっと積極的に原発の危険を知りえる環境や時間があったにも拘らず、非常に多大な勇気と労力の必要な反対運動云々はともかく、少し勉強するといった個人的で微小な努力さえもはらはず、ただ単に日々を日常送り続けてきて、今後もそんな可能性の多々ある自分自身の怠慢怠惰な性情に、あきれるということを、心にとどめておきたいために、引用させていただくということである。

(前略)
 今回の東北関東大震災はその被害の大きさと範囲においては関東大震災に次ぐものでしょう。被害範囲ははるかに越えています。地震それ自体はこれからも繰り返し日本全国で起きます。これはもう自明のことです。

ただ今回が今までと異なるのは直接的な被害の大きさよりもやはり福島第一原発
事故でしょう。6基の内4基が同時に事故を起こし今もって収束せず更なる被害の拡大を防ぐため世界中からの力を借りて何とか危機を脱しようとしているところです。
今日はフランスから大統領以下、環境相原子力庁、アレバ社(電力会社)などのトップの人が来て協力を約束してくれました。またアメリ海兵隊の対放射線防御の専門部隊も派遣されるそうです。今はもう世界のあらゆる知識、手段をもってまずはこの危機的状況を脱するしかないでしょう。「何とぞお力をお貸しください」です。すべてはそれからでしょう。
勿論同時併行で被災者救助、救援を行わなければならないことは言うまでもありません。

実は数日前からもう十数年前に古本で買った「原発への警鐘」という本を読み返し始めています。ご存知と思いますが内橋克人という人が1982〜83年に『週刊現代』に連載したものを84年に本にしたものです。

 内橋克人氏は僕が最も信頼している経済評論家です。
 平成のはじめ頃に名前を知りその後90年代半ばしきりに規制緩和が叫ばれた時代にもそれに対し多くの疑問を投げかけ、NHKの番組などで、当時まだ慶応大学の教授であった竹中平蔵氏などとも時々論争してました。
 その後小泉政権時代にはその構造改革路線(自由競争至上主義とか資本原理主義などと呼ばれた)には大変批判的な論調でそれらには大変懐疑的でした。

 「原発への警鐘」はかれこれ30年近く前に書かれたものですが、そこには原発はそれほど完成された技術ではなく技術者たちが思いもしなかったトラブルがいくつも発生したり、また放射性廃棄物の最終的処分などの方法も確立しないまま運転を始め現在に至る代物です。

 僕もこういう事故を見て、十数年ぶりに読み返しはじめたばかりですが、結局かつて読みはしたが長らく疑念は持ちつつ関心を無くして行ったわけで何かを言う資格はありません。

 しかし今回、「想定外」とは言えその「想定外」の天変地異が起こって事故を起こせばもう手が付けられない、事故による異常事態を収束させるにはそれこそ想定外の方法で思いつくものを試して見るしかない、それってちょっと違うんじゃないかと思わずにはいられません。
 別に恐竜が絶滅したと言われる巨大隕石の衝突まで想定に入れろとは言いません。しかし飛行機が落ちたら、過去に起きた地震津波くらいまでなら想定すべきだったのでは?とも思います。

 が、やはり後付のようにも思えます。ではどう考えれば良いのか?
わかりませんが「想定」云々ではなく「事故が起きたらどうなるか」から考えなくてはいけないのではと思います。原発原子力が他の事故と大きく異なるのは何と言っても放射能による被害でしょう。

 勿論放射能に劣らず恐ろしい被害をもたらす科学物質もあります。(ダイオキシンやPCB 有機水銀 カドミウム 有機リン系化合物なども)
 しかしその取り扱いや制御の難しさ除去の困難さ、無害化までの期間などにおいて放射性物質やそこから出る放射線への対処は格段に困難なのではないでしょうか。それを考えると原発核兵器は言うに及ばず)にはかなり消極的、控えめに言って慎重に考えざる得ないと思えてきます。
 長々と思いつくまま綴ってしまいました。あちこち矛盾だらけの考えです。

そもそも、「文明」が高度になればなるだけ、エネルギーを大量に消費するようになるのは必須であり、このエネルギーに関していえば、その循環するエネルギーの量は、絶対量が決まっていて、増えもせず、減りもしない、というエントロピーの法則は、物理学の基本である。
ある時代に地球上で極端に使えば、今までの地球創生から微々たる増加で使い続け維持してきたエネルギーを加速度的に大量に使い尽くし、将来には残らないという理論上の計算になる。
いずれにせよ、生命は微妙なつりあい、「矛盾」の上に成り立っていることは、パスカルが「人間は考える葦である」といったとおりである。
事故が起これば、地上にも地下にも海にも放射能をばら撒き、そうやって電気を作らなければ維持できない文明、社会、政治、産業、文化、生命とはなんなのか、もっと学校や社会で教え、考えたうえで、われわれは次代を作らねばならない。
最近U2も、同じことを言っているのかな、と思う歌を思い出した。
with or without you 
君と一緒でも君なしでも(僕は生きていけない)。