今回のバガボンドCAFEの「放射能を知ろう勉強会」勉強会またやります 「放射能を知ろう〜原発事故に冷静に向き合うための基礎的な科学知識」 - 為才の日記について、案内に付記したいことを書きたい。
最初に、「バガボンドCAFE」の起こりから。
今年3月31日掲載の朝日新聞夕刊記事、哲学者の鶴見俊輔さんが、東北震災の被災地の避難所の様子について書かれたエッセイ『身ぶり手ぶりからはじめよう』という文章を読んだ。その中の、次のような記事が、地震直後で、いろんな情報が渦巻き、ネットでいろんなサイトを見ていた、腰の落ち着かないわたしに、衝撃を与え、結果として、それがある種の落ち着きをわたしに与えてくれた。
そのことを、わたしはブログに書いてみて、取り上げた。(下記に、鶴見先生の記事本文をもう一度、抜粋引用します。)
あれをとって。それでない、あれ。というような家の中のやりとりが、地震以来、力を取り戻した。身ぶりは、さらに重要だ。被災地ではそれらが主なお互いのやりとりになる。この歴史的意味は大きい。なぜならそれは150年以前の表現の姿であるからだ。身ぶり手ぶりで伝わる遺産の上に私たちは未来をさがす他はない。
(中略)
長い戦後、自民党政権に負ぶさってきたことに触れずに、菅、仙谷の揚げ足取りに集中した評論家と新聞記者による日本の近過去忘却。これと対置して私があげたいのは、ハナ肇を指導者とするクレージー・キャッツだ。急死した谷啓をふくめて、米国ゆずりのジャズの受け答えに、日本語のもともとの擬音語を盛りこんだ。
特に植木等の「スーダラ節」は筋が通っている。アメリカ黒人のジャズの調子ではなく、日本の伝統の復活である。「あれ・それ」の日常語。身ぶりの取り入れ。その底にある法然、親鸞、一遍。
(中略)
言語にさえならない身ぶりを通してお互いの間にあらわれる世界。それはかつて米国が滅ぼしたハワイ王朝の文化。太平洋に点在する島々が数千年来、国家をつくらないでお互いの必要を弁じる交易の世界である。文字文化・技術文化はこの伝統を、脱ぎ捨てるだけの文化として見ることを選ぶのか。もともと地震と津波にさらされている条件から離れることのない日本に原子炉は必要か。退行を許さない文明とは、果たしてなにか。
それを読んでほどなく京都のガケ書房で行われた『ガラクタを想像力に変える投げ銭市』というイベントの紹介を、WEB上で見たときに、すぐその鶴見さんの文章にある「交易」という言葉が、浮かんできて、わたしのブログでそのことを(少し苦心したが)書いてみた。
京都「ガケ書房」のイベント〜2011.4.10「ガラクタを想像力に変える投げ銭市」 - 為才の日記
その後しばらくして、あるブログでこの拙文が取り上げられているのを知った。そのあるブログとは、「ぶろぐ・とふん」という変わった名のもので、書かれている方は京都のお寺の方?のようであり、「ブッダ・カフェ」という、これも面白い名前の集まりを企画し、その毎月開催される集まりの案内のために、そのブログをはじめられたようだった。
それは、福島からの被災者の家族もゲストとして迎え、地震についてことばを交わそうという試みで、次回の集まりを告知するに際し、その「投げ銭市」について、鶴見先生の文章を絡めたわたしのブログを引用してくださっていた。
ブッダカフェとは - ぶろぐ・とふん
その告知されていた「ブッダ・カフェ」に参加したとき、その筆者扉野さんが上記「ガラクタを想像力に変える投げ銭市」の企画に共同でたずさわった人であることを知った。
そのときは、日程や詳しい内容について、告知する用意ができてなかったが、わたしとその知人も、この地震に関連し、原発事故後話題になっている「放射能」について、一緒に勉強する催しをしたい旨を、扉野さんに伝えていたので、そのことを参加者の方に紹介してくださった。
その時点で、勉強会を、本格的にやることになった。「カフェ」という形式を、「ブッダ・カフェ」から借用し、「バガボンドCAFE」というくくりを使うことにした。今回の「放射能の勉強会」だけでなく、ほかのこともテーマにして、話す場を持ちたいと思ったからだった。
「バガボンド」の意味は、いわずとしれた井上雄彦のマンガからとった。彼が描く、あの武蔵の姿(絵)に、衝撃を受けて以来、何かバガボンドの名を借りたことを、自分もやってみたいという、それが第一の目的だった。たいして深くもないが深そうな「こじつけ」は、いくらでも言えるが、なんとなく、というのが正直なところだ。
ということで、いかにわたしが「借り」まくっているかということが、露呈されてしまった。。。
それを、どうにかして「返し」ていかねばならない。