ラドンとコバルトの1960年代

少し前の話だが、今年1月25日の毎日新聞にこんな記事があったらしい(と知人からきいた)。
関東地方の一部で放射線量が一時通常の2〜3倍に上昇した原因は、放射性物質ラドンが降ったせいだというものだ。
ラドンと聞くと、わたしなんかは怪獣の名前しか思い付かない。ただただ懐かしい。しかしこの怪獣の名前、じつはこの放射性物質からあきらかに名付けられている、と科学に詳しい別の知人から教えてもらった。
おそらく、ゴジラシリーズの怪獣たちは、主役のゴジラそのものが水爆実験のせいで突然変異して生まれたこととなっているせいか、なんらかのこうした「核」技術の負のオトシゴみたいな存在になっている。
このことは、中尾ハジメさんが福島の事故について対談された本『原子力の腹の中で』(2011年11月 編集工房SURE刊)のなかで、パネリストの加藤典洋氏が、1960年代当時の原子力に対する二つの代表的なヒーローとして、アトムとゴジラを出しておられた、それを思い起こす。
知人によれば、ラドンは地下から地下水により地上に出てくるらしい。だから温泉になったりしている。線量が上がったのは、なんらかの亀裂が地底と地上をつなげ、そこから噴出した可能性が高いという。
詳しくは、その知人が書いて、今度出るブッダ・カフェの機関紙『ホウクス・ポウクス』で発表するとのこと。(興味のあるかたは、『ぶろぐ・とふん』ホオクス・ポオクス - ぶろぐ・とふんからアプローチして郵送してもらってください。80円切手を入れて、封書で申込することになっています。

この地下から地上へ、という動きは、九州の阿蘇山の火口から生まれたとされるラドンと重なる。この怪獣は、その名のみならず、名前の由来の元素の動きに意外にも忠実なことがわかる。かなりの部分、科学的知識がその創造の決定的な源泉となっていたのだ。
あの頃、1960年代の特撮ヒーローものはウルトラマン科学特捜隊に象徴されるごとく、科学がベースになっていた。製作現場の裏話として、小学生が理科で習うような内容をシナリオに入れろ、という方針もあったと聞く。(2011年サンケイスポーツウルトラマン40周年特集)
当時の花形は、たしかに通産省主導の「科学」だった。原発もちょうどその時期にスタートしている。
ただ、必ずしもウルトラシリーズは、科学を持ち上げてばかりではなく、ウルトラセブンなんかは放射能の危険性を真っ向から取り上げるストーリーを製作、放送禁止で一回分空白の週がある。適当に作り直さず穴のままによくできたものだ。当時のテレビマンはツワモノである。
ただ、ゴジラが映画で敵にふんだんに吐き浴びせていた放射線が、50年を経たいま、こんなにも注目され、困難極める現実を生んでいることを考えると、昔は、無邪気だったと思わざるを得ない。
わたしが、ひとつ、元素名で思い付くものがある。それはあの中原中也の詩「この小児」の冒頭の詩句、「コボルト空に往き交へば、/野に/蒼白の/この小児。」から連想するコバルトである。
このコボルトは、koboltであり、これはドイツ民話の悪戯者の妖精の名だ。中原は、ヴェルレーヌの詩に出てきたその妖精を、自分の詩に登場させたらしい。コバルトと結びつけるのは単なる語呂合わせだが、コボルトはなんと原子番号27のコバルトcobaltの 語源だという。
「明白でないが、ドイツのザクセン地方の鉱夫たちが、銀鉱石によく似た鉱石から銀を作ろうとしたが成功しなかったため、民話に出てくる山の精・悪霊コボルトの仕業と考え、その鉱石をコボルトとよんでいた。コボルトと恐れられていた鉱石の中から、ガラスと溶け合わすと美しい青色をあたえる元素が見つけられ、それがやがてコバルトとよばれるようになったらしい。」〈『元素111の新知識』桜井弘編(講談社BLUE BACKS)p.151〉
ラドンの場合とは逆で、意外だが、わりと古代神話や発見者の名前から元素名は命名されていると、この本を読んで知った。
このことを短絡的に考えるのは早計かもしれないが、方法は全く違うが、科学も自然の「記述」をしようとしている点で、文学と本質的に変わらないのでは、と思えてくる。(「文学」が「科学」とほぼ同じ時期にあらわれたことは、柄谷行人も書いている。)
このことは、あらためて、ゆっくり続けて考えてみたい。


ちなみに、コバルトは、絵を描く人には馴染み深い絵の具の名でもある。
古代エジプト人はそのものを陶器の染料に使い、ダ・ヴィンチはすでに絵の原料として使っていたらしい。
ユーミン荒井由美だった頃出したアルバムに『COBALT HOUR』というのがあるが、なるほど、元美大生らしいタイトルである。そのアルバムの中に名曲「卒業写真」がある。
タイトル名COBALT HOURというのが一曲目のナンバーだ。歌詞は、ちょっとさっきの中原の詩と、その空の意味でのつながりがないでもない。
しかも。
なんと、この歌の歌詞は、時空を飛び越え、1960年を目指し、プロペラ機(実際にはプロペラ機と見立てた車だったりするのだが)で旅立つという内容のもので、イントロでそのプロペラ機のエンジン音が入ってもいる。
不思議だが、この作品では、コバルトが、科学が未来と希望の異名だったあの頃への、架け橋のことばとなっているように思われる。
「夜明けの金星/消えゆく空はコバルト」(荒井由美COBALT HOUR』)

ちなみに中原中也は、明治40(1907)年の今日、4月29日に山口県吉敷郡山口町、現湯田温泉にて生まれている。今から105年前、生きていたら105歳になる。わたしの祖母が、じつは明治41年生まれでまだ元気であることは驚きであるが、それを考えると、そんなにはるか以前の人ではないのだ。