加藤典洋『敗戦後論』ノート② 戦後の「さかさま」の世界と「ねじれ」 補足〜バガボンド・カフェ資料その6

前回、紹介した

 日本の戦後は、「さかさま」の世界 だ。

という、加藤氏の言い方ですが、もうひとつよくわからないな、と思いましたので、補足しておきます。

 日本が戦前は、いわゆる軍国主義のなかで、この戦争には「(正)義」がある、それを信じ戦ったこと。それが、敗戦後、アメリカの占領下で、全面否定された結果、兵士の死が無意味にならざるを得なかったこと、を指すものだと思われます。

 また、戦争中は、軍部の要請を受け、戦争を鼓舞する作品を数多く作り続けた文学者たちもいました。彼らは、どうしたのでしょうか。
  
 『敗戦後論』の次に書かれた『戦後後論』のなかに、その当時の、戦前と戦後で、異なる言辞を述べた「進歩的知識人」と「政治と文学」の問題が触れられるのですが、そこでも「さかさま」の現象が起こった。そのことを、彼らは自覚していたでしょうか。

 西ドイツだと、自分たちの戦後の繁栄が、第二次世界大戦で敵国であった他国=連合軍によるヒットラーへの攻撃により達成された、と。そして、その認識に、耐え難い、矛盾した思いを抱き苦々しさを隠せないリーダーとクオリティ・ペーパーが、戦後40年目に当たる1984年にも、明確に存在していた、と。

 加藤氏は、言っています。

 「戦争に負けるとは、ある場合には、こういうことにほかならない」と。

 そして、その「苦渋」は、かつての敵国に謝辞を述べねばならないという「ねじれ」を意識して、はじめて表出されます。

 「戦争に負けるとは、ある場合には、そういう「ねじれ」を生の条件とするということである。」

  と、加藤氏は、かさねて、書いています。

  ところが、日本の戦後に見られる論説には、「初期の敗戦期」以外には、一部の文学者や評論家を除き、そのような「ねじれ」を自身のなかに意識し、「苦渋」を滲ませた言論は、姿を消していることを、加藤氏は後の部分で、憲法の成立に絡め、詳しく指摘しています。

  ましてや、戦後70年を経ようという、いまにおいてをや、ですが、、。

  それはおくとして。

  加藤氏は、そこ、その 「苦渋」が消失してしまったとき から、「戦後」がはじまったのだ、とこの『敗戦後論』の最初の部分で、書いています。何もかも「さかさま」になった世界、しかしいつからか、それが「見えなくなった」ときから、「戦後」がはじまった。

 その敗戦から、「戦後」がはじまるまでの、比較的短い期間に加藤氏は、「敗戦後」という名前を、あらためてつけました。

 以上が、長くなりましたが、この本のプロローグ、冒頭の論点です。次には、その「敗戦後」期のまさにメイン・イベントといえる「憲法」成立、が取り上げられます。

 やっと、、、。(ちょっと時間かかりすぎ?ですね!)