セミ初鳴き「ラジオ」な日々、半醒半睡で読んだ本

(いきなり「日記」モードですが、、)昨日から今朝にかけ、夜勤だった。しかし、朝、母をディケアに連れていくために、1時間だけ寝て、半睡で無理矢理ふとんから身体を引き剥がした感じ。
台風は、結局というか(テレビではかなりな警戒を呼び掛けていた)、幸いだったというか、たいした強さを保たず、過ぎた。
まだ、今朝は、うちのあたりは雲行きが悪かったが、母の腹具合も?悪く、トイレに入っているのを幸い、ディケアセンターに、体調様子見ていて遅れる、と電話して、しめしめと思い、寝ぼけた頭を冷ましていたら、陽が差してきた。
晴れてきたのだ。それはいいが、暑い。
寝ぼけた頭で車に乗る。
急いで出てきたので、上は半袖の下着、下はジャージ姿だ。
さすがに、この姿では車から出れない。長袖のワイシャツを丸めて車に載せてきたので、着く直前の信号待ちの時、急いで羽織る。(近頃、まだ夜は長袖でもいけていた。もうダメだろうが。)
ディケアセンターへは、私が送り迎えしないといけない、そういう条件だったが、いいところだったので承知した。そんなに長く続くか不安だったが、もう半年を過ぎてしまった。
運転中、高野橋の川沿いの並木からセミの声がしていた。もう夏なのだ。
昼遅く、今度は迎えにいくとき、近くの大きな木がたくさんある公園で、中学生が制服のまま、木に近づきセミとりらしい動きをしている。

少し季節が台風が過ぎ、動いたみたいだ。
これから暑くなるのだろう。

朝、帰りにショッピングモールの駐車場に車を入れ、運転しながら聴いていた、ラジオの続きを聴いた。「すっぴん」高橋源一郎と藤井あや子?DJ、今日は50回記念だとか。
カーラジオは、こうした鉄筋屋根のある場所じゃ入らないが、ここのモールには屋根がない屋上部分にも駐車スペースがあり、そこまで動けば電波が入る。
晴れてきて、景色もよかった。愛宕山らしき山から北山の西にかけ、全貌が見渡せた。(ちなみに洛北カナートです…。)
ちょうど源ちゃんの放送が終わり、見せに入ろうとしたら、ニュースになり、三重県の元公務員が、政府の集団自衛権容認の閣議決定が9条違憲であり、さらに公職者の憲法遵守を定めた99条違反でもあると、裁判所に訴えた、と言っていた。
新聞には、一面すべての広告に、そもそも現首相は2012年の衆議院選挙が最高裁で「違憲」となった以上、「無資格者」だという紙面をみた。
一人一票実現国民会議なる団体の意見広告である。

集団的自衛権も、「違憲」になる可能性が高いが、じゃあ自衛隊はどうなのか、ということもあり、仮に「違憲」となっても、現首相のように、なんの痛苦も感じず、そのまま現実は変わらず進むのかもしれない。
このような事態を、あまり異変に思ってない事実を、どう認識すればいいのか。
北朝鮮は頻繁にミサイルを発射し、イスラエルはひどいことになっている。
昔なら、もっと大騒ぎになっていたに違いない。

まるで、空に月がもうひとつ現れたのに、誰も気づかない、『1Q84』に突入したかのようである。

かといって、騒ぐだけではなんの益もない。ただ、この現実の由来と行く末の観測をしないわけにはいくまい。

カナートの本屋さんで、『憲法九条の軍事戦略』という本があった。松竹伸幸著、平凡社新書
内田先生が写真入りの帯で登場していた。「誰かがこういう本を書かなければならないと思っていたら松竹さんが書いてくれました」とのコメント。
いちおう買ってみました。
この本は昨年4月15日に初版が出ていて、同年8月に3刷がでている。

この本の「はじめに」にこんな文章がある。

「『憲法九条の軍事戦略』という本書のタイトルに対しては、護憲派からも改憲派からも、強い疑念が表明されるだろうと思う。護憲派にとってみれば、九条とは軍事の対局に存在するものであり、九条の軍事戦略という言葉や概念自体が、九条の精神を汚すものとして目に映るかもしれない。一方、改憲派にとっては、九条が軍事力を絶対的に拒否しているからこそ改憲が必要なのであって、九条の軍事戦略などというものは、そもそも最初から存在し得ないものであろう。

 要するに、九条と軍事力の関係が相容れないという点では、護憲派改憲派は共通しているということだ。いや、それは両派に共通するというだけではなく、国民全体の常識だろう。

 だが私は、この既成概念に挑戦することにした。護憲派にも軍事戦略が必要だと考えるにいたった。」(p.9-10)

カナートの地下にあるフードコートは、ちょうどお昼時で満員だった。
食品売り場に近い場所に、ドンクのカフェがある。前に一度か二度来たことがあったが、コーヒーがうまかったので、そこに入る。
本を開けるがさすがに、寝てないので頭というか、目が開かない。
今日は、半醒半睡で、過ごす。体も熱っぽい。

そういえば、「すっぴん」では、高橋源一郎宮沢賢治の朗読劇をしているという古田日出男氏に番組でインタビューしていた。
朗読劇のさわりをすこし紹介していたが、面白いものだった。
「小説というのは黙って目で読むものになっちゃったけど、昔は、漢文とかは朗読するものだった。
もっと昔は、口伝えするものだったんだよね」と、高橋氏。

ラジオというのは、かなりいい情報源である。肉声があるのが、新鮮な、懐かしさもある。
そういえば、これもたしかNHKだったが、FMラジオで日曜の深夜、小説家の村山由佳(フィギュアのスケーターではない)が番組をしている。
最近夜勤帰りに車でひそかに聴いている。ひと昔前になるが、たまにこの人の小説を読んでいた。
そのラジオで読みたくなり、最近高野のコミックショックに探しに行き1冊買ってきた(わたしはすぐ本を買ってしまう〜『ヘヴンリー・ブルー』集英社文庫・デビュー作だった『天使の卵』の続編です。よかったです。)
夜、本棚を整理して目についた本をパラパラ見ていると、「荒地」の黒田三郎鮎川信夫のことを書いた文章が目についた。
『活字と自活』荻原魚雷氏の著作で、これは善行堂さんで衝動買いした。
昨年11月に買ったと表紙裏にメモで書いてあり、「Yさん(店主)東京から帰られる」と付記してある。出張からお帰りのところに偶然お邪魔したのだ。
「荒地」の人たちもほとんど亡くなった。わたしが学生時代は、ほぼご存命だったのだ。
戦争が遠くなるはずである。今の状況を鮎川氏などはなんと見るだろうか?でもたしか鮎川信夫は、わたしが大学在学中に亡くなられたように記憶している。当時はニューアカブームの頃で、たしか吉本隆明との対談に担ぎ出されたりされていたように覚えている。急逝だった。
その対談のなかで、夜散歩していて、女の人が一人出歩いているのに出くわすと、向こうが怪しいと思うのか早足になる、あれは嫌な感じだね、と言っていたのを妙に覚えている。

荻原氏はこの本のなかで、辻征夫という詩人のある詩を紹介していた。
「《ぼく思うに 鮎川さん/プレイボーイというのも詩と同じく/底なしの憂愁 輝く快活/野放図なやさしさと冷酷/忍耐/それから/えーと/詩には何が必要なんでしたっけ》(「(隅田川の、古びた鉄柵に手を置き……)」抜粋/『辻征夫詩集成』)
もちろん「鮎川さん」は、鮎川信夫のことである。これは鮎川信夫の追悼詩なのである。(中略)たぶん辻征夫は、誰にでもわかるような追悼文は書きたくなかった。
 辻征夫はわかりやすく、やさしい言葉の詩を書いた人でもある。そんな辻征夫が、わかりやすい言葉でものすごく分かりにくい詩を書いた。鮎川信夫の追悼詩はこうでなくっちゃいけないとおもう。」(荻原魚雷「それから えーと 辻征夫」/荻原魚雷『活字と自活』本の雑誌社
ほんとうはやらないといけないことがいっぱいあるのに、寝不足だとどうしてもサクサク進まない。
洗濯物もたまっているのに、身体が、動かない。だが、こういう日も、必要なのかもしれない。
夜が近づくとすこしは目が冴えてくるのだが、最近、朝わりと早めに起きれていたから、また夜型にならないよう、気を付けないといけない。