雨降り ロビンソン パソコン

今朝起きたとき、たしか雨は降っていなかった。
今日は、母がもうすぐ退院してくるので、いままでリビングとして使っていた部屋に介護用ベッドを置く日であった。レンタルすることになったのだが、本当はもっと早く、置き場を確保するため、部屋を片付けるべきであったのに、昨日まで大して片付けられなかった。また、昨夜は仕事で帰ったら疲れて寝てしまったので、今朝早めに起きて、突貫でやらねばならなかった。
わたしは、片付けや整理が苦手、というか、腰が重く、なかなかかかれない。そして、物を捨てない。
先月末、実は若い知り合いに本の整理だけ手伝ってもらい、整理といっても、箱につめて運ぶという臨時のやり方なのだが、それだけでもずいぶん助かった。
結局、12月初旬に母が骨折で入院してから、ずっとリビングがわたしの部屋と化してしまったのだ。だから、本や(本が一番多い)新聞やその他、わたしの部屋から持ち込みそのまま置きっぱなしのものが、所狭しと場所をとり、ずいぶんたまってしまった。
やはり、持ってきたものは、元通り戻さないとこういうことになる。
なにせ、物が多い。
それで、今朝やっと、本格的に掃除を始め、ゴミ袋に要らないものを掘り込み、ちょうどゴミの日であったので、出すことができた。ほんと、一夜漬けという、学生時代からの悪癖がこんなところに出ている。
新聞も、先日その友人に袋詰めしてもらったもの、5つくらいあったが、いつもゴミの日に、古紙回収が来るという噂を聞き、玄関先に置いていた。
古新聞を置いたくらいだから、雨はまだ降ってなかったのだ。(少し地面はぬれていて弱い通り雨があったみたいだったが。)

昼前に、母の入院先の病院にて、減塩食の指導を受けた。

その足で、街中に用事があり、車で向かうとき、雨が激しくなりだした。

帰宅すると、そのベッドを運んできたらしき車がすでに家の前に停まっていた。
「場所がわからなかったら、と思い早めに着ました」とのこと。

介護レンタルの業者さんが来るまで、急いで、掃除の続きをする。

こうして、3月に家具の移動も含めた掃除をしていると、(ベッドを置くために、テレビや電話を動かしたら、玉突き的に、前から仮置きしていた本棚を、二階に上げようということになった。二階の部屋は鴨居が低く、入れるのに苦労したが、何とか入ってくれた。入ったはいいが、これからまだ整理しないと、足の踏み場がない。なんちゅう家になっているやら。。)やはり、季節の変わり目を感じる。

3月になって、寒さが少しやんだが、ガラッと音を立てて、何かが変わった気がする。今年は、イレギュラーなことがあった年なので、そう感じるのかもしれない。

わたしは、こうした変化に苦手なタイプなので、アイデンティティの組み直しを迫られるこういう時期が、どうも具合が悪い。母の今後のことも、ある程度方針は決まったのだが、各方面(親戚など)に報告もせねばならず、いろいろ気を使う。

いままで、どうやって乗り切っていただろうか?などと思うくらい、なんとなく自信がないのである。それは、たぶん、わたしにとり、大きな変化に見舞われているからかもしれない。(歳も大台に乗ってしまったし、、)

ベッドの納品が一苦労の後(業者の方、整理できていず、重いものも運ばせ、すみません)終わって、ホッとして、17時に早めに夕食を取り、こたつで、少し寝てしまった。。朝早かったし、昼も早めに食べたから、いつもよりずいぶん早い。

まるで、引越しのような日だった。

久しぶりにパソコンをつけて、ネットでたまったメールを見たら1800件も未読メールがあった。

ほとんどフェイスブックのお知らせメールである。友達になっている人が記事をアップしたり、何かコメントをくれたりすると、お知らせメールが来る。

この機能は、ありがたい反面迷惑ともいえる。(だれかが、このことを確か町田康だったと思うが、エッセイで書いていた。)

消すだけでもずいぶん手間がかかる。大事なメールを間違って消してしまうこともある。

FBも見なければならないが、あまり見たい記事はなかなかない。ツイッターのほうが、面白い記事が多い気がする。

友達がスピッツの「ロビンソン」のYOUTUBEをアップしていたので、思わず見てしまったが、これはよかった。ここでも貼っておこうか。

わたしは、スピッツは、「はっぴい・えんど」の正統な後継者だと思う。草野クンの歌い方は、細野さんに似ている。詞も、よく似ている。なにより、「歌わない」歌い方が両者に共通している。「歌わない」歌、「歌うことを否定」しつつ歌う歌なのだ。つまり、彼らの歌は、良質の「批評」を含んでいる。

「歌う」歌の代表は、たとえば、森山直太郎とか、スピッツと似ているが違うレミオロメン徳永英明、ドリカム、その他たくさんある。昔よりいまのほうが、どちらかというと、多いかもしれない。(わたしも、それらの歌を聴いたり、歌ったりすることはもちろんある。歌うと気持ちいい。)

「歌わない」歌は、つまり、なかなか他のバンドや歌手には見つけられない特徴のひとつである。ビートルズは、さすがに「歌わない」歌を歌う大御所であるが、ほかのビッグなアーチストは、いまは思い浮かばない。

ビートルズは、よく聴くと、自分たちを批評的に歌っているのがよくわかる。彼らは、ポップスの先端に立ち、自らのイロニカルな立場に自覚的だったのだ。

そして、そういう態度、歌い方は、いま一番求められていると思われる。

スピッツはいま活動停止しているみたいだが、また元気になって現れてほしい。あまりファンではなかったので、えらそうな事はいえないが。

もう、今日はあまりにも、夕方だが昼寝をしたせいか、頭がぼけていて、またなんとなく「季節の変わり目」の心理的ダメージが大きいので、(お風呂に入り)寝ることとする。

古紙回収のおじさん、行政のゴミだし用袋とティッシュ、ポストに入れてくれて、ありがとう。また、今度出します。(読んでないだろうけど。)