檸檬の店閉店〜携帯打ち過ぎで筋肉痛!悲しいアラフォー5事情

先日紹介した梶井基次郎檸檬」に出てくる京都寺町二条の果物店は、実は今年の一月に閉店されていた。
シャッターが早い時間でも下ろされ、そこにワープロ打ちの閉店のお知らせが貼られていた。

恐らく私みたいにときたま見に来る人間に向けてのメッセージも兼ねているのだろう。
文中に「檸檬で親しまれた」という文言がある。
このように作品で密かに取り上げられ、そのことが話題になり、続々とその作家のファンが訪れ、この店としては、果たして本当はどうだったのだろうか?
文面から見ると一文学者というより、なんとなく梶井の作中人物≒梶井基次郎のような「得体の知れない不吉な塊」を抱えて街をうろついている京都の学生の一人に愛され続けたということも、(彼らがそんなにたくさん果物を買ってくれるとは到底思えないが)喜んでいるように思える。
この種のいわば物そのものでなく、付加価値である空気のようなものも評価し、売ったり買ったりするのが、高度な文化のなせる技かもと思ったりする。
またその無名の作中人物のような一苦学生を何百人とこの店は見てきたに違いない。
そこに京都の商店街の人たちの学生という身分の若者に対する独特の見方やあしらいがあるのではないだろうか。
そういう店がなくなっていくことには寂しさだけでなく危機感を感じざるを得ない。
時の流れで済ましていいのだろうか〜

今日朝起きたら、右の腕の付け根から前にかけ激しい痛みが走り、右指で携帯のキーを押すごとに激しく痛みを誘発し、ついに左手親指に頼らざるを得なくなる。
アラフォー5の本領発揮で、キーの打ち過ぎによる筋肉痛?に突入した。
いや〜中高生に負けない早打ちをするため、肉体強化の必要性を感じざるを得ない。
ていうか、盛り上がりすぎたのが原因だろう。
アラフォー5ともなれば、歳を考えろとのスタンドのヤジが聞こえてきそうだ…
パソコン入力に切り替えるべきかもしれない。
しかしモバイルの何となく簡素な駄菓子のような味わいは捨てがたい…