「ターナーの汽罐車(Taner's Steamroller)」

昔、山下達郎が「アトムの子」というナンバーをヒットさせていた頃、このタイトルの曲「ターナーの汽罐車」っていう変わったタイトルの曲がアルバムに入っていた。
私はこの曲がわりと好きだった。
このターナーっていうのは、お分かりの方は絵の好きな方だと思うが、イギリスの風景画家で、印象派に多大なる影響を与えた巨匠である。
歌は「こんな夜の中じゃ 愛はみつからない」というサビで有名だが、歌詞は、退屈なパーティに参加した女のアンニュイな様子を、パーティ会場にあるターナーの絵の中の汽罐車がただ走るだけだ、という暗喩で表現するというものだ。
なかなか味のある歌である。
そのターナーの汽罐車の絵は知らないが、この歌は久しく聞いてないのに、昨日仕事の帰りに道を歩いていて急に思い出した。
なぜだかしばらくわからなかったが、すぐ合点がいった。
昼間仕事で訪問した弁護士さんの事務所にターナーとおぼしき風景というか、森の絵がかかっていたのだ。
その弁護士さんにはだいたい一年に一回か二回ほど仕事の主にトラブル相談をするのだが、事務所にいって相談室の席につくと必ずその絵が目にはいる。
その絵は、森の中の木漏れ日を見事に描いたものだ。
太陽の光線がさっと森の中に差し込み、地面の一箇所を丸く浮かび上がらせている様子をアップして描いている。
よくある絵のように線となって地面に何本も光が突き刺さる激しい感じというよりは、
ぽかぁ〜
とじんわりそのありか〜何か大切なもの〜をしめすように太陽がおちてくるというか、真実の照らし出しを思わすいい絵だ。
まさに法と正義のあるべき姿をじわじわと感じさせてくれる。
おそらくその弁護士の先生も気に入っているから掛けられているのだろう。
事務所に行くとその絵に会えるので楽しみでもある。
しかし山下達郎の歌をその関連で思い出すとは、不思議な体験だった。
たぶんターナーの絵と思い込んでいるからだろう。本当はもしかするとマネかもしれない。
今度うかがってみようか。
ターナーの汽罐車」作詞山下達郎
退屈な金曜日
埋め合わせのパーティ
お決まりの場所に
吹き替えの映画さ
まるで気のない声
虹色のシャンペインを
かたむける君の
見つめる絵はターナー
おぼろげな汽罐車が走る
音もたてず

 こんな夜の中じゃ
 愛は見つからない
 こんな夜の中じゃ
 愛は戻って来ない
 知っているのに何故 …