十条油小路近辺〜京都駅を歩けば…

いまのバイト先は十条油小路という場所にある。そこへ通うようになり恥ずかしながらわかったのが油小路通のことだ。
十条油小路は、十条通堀川通が南進した通りの交差点である。
だから感覚的には十条堀川であるし、そう呼ぶ人もいるが、京都の碁盤の目の南北の通り、堀川通は二条城の東辺を南進し、京都駅の南辺を東西で区切る八条通を越えた時点で油小路通と合流したあと突然なくなる。
だから七条と八条通りの間が、ご存じの方もおられるかと思うがJRの線路を潜るスロープになっている。堀川通りは、それを出てきて八条通りと交差すると八条堀川とは言わず、八条油小路という表示になる。
これは京都七不思議のひとつである(嘘)。
京都駅以北の油小路通は幅5メートルにも満たない両側に町屋も並ぶ一方通行路でまさに「小路」である。
しかし、八条通に交差すると、中央分離帯でしきられた片道二車線の大路も大路、立派な道路となる。

突然通りの名が変わるのは、なんとなく出世魚をみるかんじで面白い。
ただ、実態は名前が変わるのではなく、道路を拡張し車線を増やすにあたり、二つの通りをつなげたのではないだろうか?そして通りの間にあった民家かなにかは移設させ、宅地の敷地を道にしたのではないだろうか。
その際、どちらの通り名を残すのか、問題だったのではないか。
あくまで想像でほんとはわからない。

さて。
ようやく気温が上がりつつあった先週、仕事が終わり帰るとき、いつも乗るもよりの地下鉄十条駅でなく、少し歩いて京都駅まで行ってみた。

そのほうが電車賃が安いという姑息な事情もあるのだが…。

この辺りの事情には不安内なわたしだが、以前このブログで紹介した「京都テルサ」は、烏丸九条の西、ちょうど十条油小路と京都駅を結ぶ斜めの線の真ん中くらいにある。
京都テルサのすぐ前が市バスの九条車庫、すぐ東が広大な校庭を持つ京都市立陶化中学校だ。

ちなみにその日わたしは、油小路を北進し、テルサの前を通り、その陶化中学校の校門横を通り九条通りに出た。
そこにバーンと唐突に現れるのが京都第一ホテルである。
京都駅からは歩いて10分くらいか。なんとなく寂しい感じがする、なんとなくいかにも地方にありそうな観光ホテルである。
このホテルは実は前の職場で東京からの出張者を泊めるために一時期よく使った。評判があまりよくなかったが、たしかに駅前の新阪急や京阪、新都やグランビア、グランドホテルなどと比べると見劣りはする。
ごく普通のビジネスホテルだ。
しかし回りが殺風景なところがいまや一種の風情を感じさせ、旅先で昔流行った演歌を聞くように、恥ずかしくも懐かしい。
そんな象徴に、昔よく映画館で見たわけのわからないスナックのコマーシャルを思わせるホテル名の電光ネオンが夜空を染めていた。(写真)
ちなみにこのネオンはホテルの建物じゃなく上新電気の隣の小さなマンションの屋上にあった。広告看板でホテルの位置を矢印で示していた。
田舎臭い手法だが…。
さらにわたしは、上新電気のでっかい店舗がある九条烏丸を左に折れ京都タワーが駅の向こうに顔を出す八条方面へ向かった。

ちょうど地酒という看板をかけた酒屋さんの前で烏丸通りを渡り、歩道を歩いていると何人かの歩行者とすれ違った。
一人の顔になんとなく心当たりがあった。
すれ違い数歩後ろへ下がっていく彼を後ろから追いかけ、声をかけた。
元職場での後輩だった。わたしが最近スーツじゃなく帽子も被っているので、すぐにはわからなかったらしい。
あーっ!ひさしぶりじゃないですか〜今どうされてるんですか?

わたしは彼がたしかこの近くに家があること、一度在職中この近辺で飲んだことがあることを思い出していた。
彼はわたしよりあとから会社に入ったが、違う部署で働き、比較的早くに辞めたあと、働きながらなんと弁理士の資格を取った努力家だ。

わたしの職場は弁理士試験対策の講座を開催していたので、彼は受験生として何度か利用してくれた。

いま、それまでの仕事を続けながら、弁理士として活躍できる企業を探しているとのこと。特許事務所だったらなんとか簡単ではないにせよすぐにあるだろうが、メーカーで自分を試したいという。分かる気もする。
マクドでお互いがんばろうと励まし合い、別れた。

しかし犬も歩けば、ではないが、不思議なものである。