茂木健一郎「脳と仮想」 (新潮文庫)

 あっという間に10月になってしまった。今年は、9月の中旬まで暑い日が続いたが、9月に二回も台風がきて、その直後10度の幅で温度が上下した。この台風は、関西を直撃し、熊野や奈良が激甚被害にあってしまったのだが、もしこの駄文をお読みの方がおられたら、お見舞い申しあげます。(私の知人でご実家が被災された方がいる。自動車2台を廃車にされたそうだ、、、。)
 この本は、かなり前に読んだ本なのだが、なんとなく手にとって再読しはじめたら、止まらなくなった。非常に刺激的な書き方をしてあり、日頃の些事を遠くに思わせ、真に大事なことに思い至らせる、ある種の「物語」の効用をも兼ねている、稀有な本であると思う。
 
 なかでも、一度目に読んだとき印象に残らなかったのだが、今回新たに読むと、非常に面白いことが書かれている箇所に気付いた。しかし、同じ箇所を、わたしは、前回も地下鉄の車内で読んでいた記憶がある。今回も、この本の多くを地下鉄の車内で読み直したのだ。
 それは、すでにお亡くなりになったらしい三木茂夫という学者の話を書いた「思い出せない記憶」という章だった。
 『脳と仮想』の第7章「思い出せない記憶」は、三木茂夫について、茂木氏が日頃その名前を周りで話したりするのを聞くが、自分とは関係のない人だと、うっちゃっていたところ、養老孟司さんが雑誌に書いた文章で、東大医学部で三木茂夫の特別講義があった、というのを読んで、東大でも講義したのか、というのを知り、うっすら自分が三木茂夫の講演を文化祭か何かで、聞いていたことを思い出す、というエピソードから始まる。

 そこで、「思い出せない記憶」が、わたしたちにはたくさんあるが、おそらくそれは、かなり人間にとって重要なものなのではないかと、気付く。

 

…もし過去の痕跡が残っていることを「記憶」と名付けるならば、私たちの脳の中の記憶のうち、エピソードとして思い出すことのできる記憶はごく一部にすぎない。私たちの脳の中の神経細胞の間の結合は、日々刻々変化している。人と会う、町を歩く、ワインを飲む、本を読む、テレビを見る、旅行をする、仕事をする。様々な体験の痕跡が、神経細胞の間の結合のパターンの変化として私たちの脳の中に蓄積されていく。エピソードとして思い出せる記憶は、その痕跡の総体のうち、いわば、氷山の海上に出た部分にすぎない。一つのエピソード記憶の周囲には、決して思い出すことのできない、記憶と明示的に名付けることさえできない体験の痕跡がまとわりついている。
 (『脳と仮想』茂木健一郎著 新潮文庫 p.186)

  そして、この「エピソードとして思い出せる記憶」以外の記憶、つまり「思い出せない記憶」の例として、義務教育で学校で習った勉強内容をあげる。

…私たちの脳の中には、かくも長き時間机に座って教師の授業を聞いていた体験が、重層的に痕跡として残っている。だからこそ、一度も外国に行ったり、外国人と喋った体験がないような人でも、十八歳の春にはある程度英語が使えるようになっている。教育の効果は、「思い出せない記憶」として蓄積されて行くのである。教師は、生徒たちの中にエピソードとして想起できないような痕跡を植え付けることを天職としているのだ。
 (同上 p.187)

  この部分は、かなり教育論の波紋を呼びそうな見解だが、内田樹が、『下流志向〜学ばない子供たち 働かない若者たち』(講談社文庫 2009年)のなかで、いまの教育の現場の問題としてある「役に立たない勉強をやりたがらない」風潮に対して、「学ぶことに理由はない」という見解を述べているのと本質的に通じているものを感じる。おそらく、「教育」とは、生物学的な考察も必要なある種「生存のための」重要な行為で、生物として必須の課題であるということを、茂木氏は、匂わせているのである。

 そこで、先にあげた三木茂夫の話になる。

 私は、三木茂夫の講演を聞いていたにもかかわらず、長い間そのことを思い出しもしなかった。もちろん、空白の十数年の間、三木茂夫の講演を聞いたということの痕跡が私の中になかったということではない。むしろ、エピソードとしては取り出すことができないレベルで、私はあの時の三木茂夫の講演という一回性の体験の痕跡に支配され続けていたのではないかと思う。
 インドネシアのバリ島に行き、夜、波打ち際に座って海を眺めていたことがある。その時、私は、三木茂夫の講演が残した痕跡の作用を全身で感じていたのではないかと思う。誰かが妊娠したという話を聞いたとき、私の中では三木茂夫の見せていた胎児の写真の痕跡がよみがえっていたのではないかと思う。あの時の講演のことを、具体的なエピソードとしては思い出すことこそなかったものの、私はあの講演に出席し、三木茂夫が喋るのを聞いたことで私の脳の中に残された痕跡に、決定的と言ってもよいくらいの影響を受けていたのではないかと思う。
 ある体験の痕跡が自分の生き方や世界観に影響を与えるためには、その痕跡は思い出すことのできるエピソードとして立ち上がっている必要はない。記憶というのは、それが思い出せるかどうかが本質なのではない。むしろ思い出せないからこそ切実な記憶というものがある。
 (同上 p.188)

  
 三木茂夫は、解剖学の教授で、「人間の胎児が、その成長の過程で魚類や両生類や爬虫類などの形態を経る、とうことを『生命記憶』という概念を用いて議論していたらしい」(同上 p.182)

茂木氏は、この本で、その「生命記憶」を、「生まれる前の記憶」という言い方で書いている。

 私たち人間一人一人の身体組織の中には、過去の長い進化の歴史の中で刻み込まれてきた様々な痕跡が残っている。三木茂夫の言う、生物というのは基本的に一本の消化管であるという存在条件は、人間においても変わらない。脳科学者のダマシオは、人間の認知過程を考える上では、「内臓感覚」が重要であるという説を提唱している。私たちが世界と向き合い、様々な意志決定をしていく上では、脳が内臓から受け取っているシグナルが大切であると言うのである。「うまく行きそうな気がする」「なんとなくいやな予感がする」というような時に、私たちは内臓を初めとする身体から脳に送られてくる情報を参照しているというのである。
 ダマシオの言う内臓感覚に、消化管を中心とする生物の長い進化の歴史の痕跡が反映されているのは当選のことである。そのような痕跡が、思い出すことのできない記憶として作用するということは、考えてみれば当たり前のことであろう。それが、三木茂夫の言葉を借りれば「生命記憶」の問題になるだろう。
(同上 p.190)

この箇所は、非常に面白い卓見であり、これも内田樹が、よく書いている「私の身体は頭がいい」というフレーズと似通ったものを感じる。内蔵をはじめとするわれわれの身体の中には、脳の中よりも、進化の過程で長い間に蓄積された「記憶」があり、その痕跡がわれわれの「感覚」に反映しているという、興味深い考察がここにはある。

 このあと、茂木氏は、有名な信州の善光寺にある「戒壇廻り」に行ったとき、自分たちの祖先が体験したような原初的な「暗闇」の記憶がよみがえる気がした、という体験をあげ、わたしたちの身体に深く、「思い出せない記憶」が埋め込まれ、そこから時折、そうした体験によって、ポツッとわれわれの意識に、その記憶が顔を出す様子を、指摘するのである。

 これは、非常に重要な仮説で、この本の最初の方に出てくる「小林秀雄の心脳問題」を、解く手がかりに現代の脳科学がどうやら少しづつ手をかけているように感じざるを得ない。(それを科学と呼ぶかどうか、いろいろ論議はあるだろうが)
 
 つまり、「自我」「コギト」「私」は、近代が発見した思い出せる記憶の範囲の私でしかない。それを見直すきっかけになるだろう。

 「私」とは、単に覚えている記憶にすぎないのだ。

 こう考えると、小林秀雄が戦前の日本文学の私小説一辺倒だった状況を論じた「私小説論」から始め、茂木さんがこの本で最初に取り上げている「心脳問題」へとすすんで行ったのも、非常に深く興味深い道筋であると、痛感せざるを得ない。

 この本のテーマは、最初にプロローグで書かれているが、茂木さんが空港のレストランで、隣のテーブルにいた女の子が「ねえ、サンタさんていると思う?」と、妹に問いかけていた問いそのものである。茂木氏は、自分にとり、これほど重要な問いはないと思った、とそこで語っている。

 子供向けのファンタジーなどと馬鹿にしてはいけない。私たちの心の中の、サンタクロースという仮想の現れ方、その私たちの現実生活への作用の仕方の中にこそ、人間が限りある人生を生きる中で忘れてはならないなにものかがある。
 
 サンタクロースは存在するか?
 
 この問いに対して、どのような答えが可能か?

 (同上 p.12 序章「サンタクロースは存在するか」)

 ファンタジーは、単なる子供向けの子守唄代わりのおとぎ話や説教譚ではない。なにか、人間の意識の本質を示唆する、重要ななにものかではないか、と茂木氏は考え、思考を進め深めていく。
 脳科学では、この「存在してないもの」に対する、人間の感覚、実感について「クオリア」という言葉を使っているらしい。
 その「クオリア」の触感を人間はいかなる仕組みで持つにいたるのかを、茂木氏は、まず小林秀雄が彼の講演録で、情熱を込めて何度も話される「心脳問題」、脳からどうやって「心」が生成されるのか、という問題からはじめている。
 人間の脳で生まれる「仮想」とは何か、多くは文学者の著述断片から思考し、恋愛、傷、テレビゲームといった具体的で現代的な事象を挙げ、現代科学の理論と並べながら、19世紀から20世紀に支配的であった、科学的な考えでは、どうしても解くことのできない、「心脳問題」を考えていく。そこでは、ファンタジー小林秀雄の一見オカルト的な見解をも、偏見なく、平等に真摯に、見直して、それらの見解に現れる「科学」への疑いのなかに、重要なものがあると、感じ、考察をすすめていく。
 そして、それらの見解に人間の身体のなかの奥深いメッセージの反映があること、第7章ででてくる、進化の過程の痕跡が人間の記憶にはあり、学生時代に偶然聞いて、その後忘れていた三木茂夫の講演で語られた「生命記憶」がわれわれにそなわっていることを考察する地点にまでたどり着くのである。(戻ってきたというべきか)

 このわたしにも、どんどん前に進んでいるようで、結局もとの場所に戻ってきたという体験があるので、非常に共感して読むことができた。この思いは、人間ってはたして進歩しているのか?結局、元に戻っているのではないか、という疑問につながる。

 この本は、雑誌『考える人』の連載をもとにしているので、茂木氏が、その連載の過程で進めていった考察が、その結論からでなく、時間順にたどられているので、その現場感覚といえる、ワクワク感も、文章にたくさん込められているように感じる。

 さて、この本を読み続けているとき、奇しくも、生物学者の福井伸一さんが、朝日新聞の書評に、茂木さんが書いたその三木茂夫の「生命記憶」と微妙に通い合うことをかかれていたので、最後にここに引用しておく。

 ヒトはサルの幼形成熟ネオテニー)として進化した。そんな魅力的な仮説がある。子供時代が延長され、子供の特徴・特性を残したままゆっくり成長する。すると好奇心に満ち、探索し、道草を食う。攻撃よりも接近、争いよりも遊び、疑いより信じることが優先され、合理より物語に惹かれる。つまり、学び、習熟し、想像力の射程が延びる。これがヒトをヒトたらしめたのだと。

 『ゲド戦記』で世界を魅了し、愉快な『空飛び猫』(邦訳は村上春樹)を生み出したル=グウィンは実作者の立場から、ファンタジーの作用もまたそこにあると言う。

  ファンタジーとは、子供だましでも夢物語でもなく、まさに子供であるときにしか感得できない力、子供だけに見える世界を与えつづけることだと。それは、レイチェル・カーソンが「センス・オブ・ワンダー」と名づけたもの、あるいは児童文学者の石井桃子が言った「大人になったあなたを支え続けるもの」と同じでもある。

  なぜ、ファンタジーでは重力が無化され、動物たちが人と会話するのか。それはデカルト的二元論、キリスト教排他主義、行動主義理論などがこぞって決め付けてきた大人の理屈、すなわち機械論的自然観から本来的にまったく自由であるからだ。この本を読んで、私はかつて昆虫少年だったのに、なぜファーブルではなく、まずドリトル先生の物語に惹かれたのかという疑問が解けたような気がした。

  ファンタジーは、善悪の違いを教えるだけでなく、むしろ真偽の見え方を教える。それ以上に美醜の基準、フェアネスのありかを示す。物語のかたちをとって。なぜ生命操作が美しくなく、どうして巨大技術が醜いのかを教えてくれるからである。

  あれだけの作品群を書きつつ、こんなに緻密な評論をもものする。ル=グウィンル=グウィンたら占める理由がここにある。

(2011年9月25日 朝日新聞 読書欄「いまファンタジーにできること/アーシュラ・K・ル=グウィン<著>」書評 福島伸一)