「歌は終わった。でもメロディが鳴り響いている」(村上春樹)

(見せるべきかどうか迷いますが、捨てるかもしれませんが、その前に見ていただきます。)


「たとえば霧や/あらゆる階段のあしおとのなかから、」
なんて詩を思い出すような季節にもうなった
なんてことを書くつもりはなかったのに

わたしはただ雲なく晴れわたる秋日和のやわらかな日差しを

受けるべきかどうか迷う判断も与えられず

受けてしまっていることを許されているのか

わからないままたおやかな仏像群を前にしていた

嵯峨野ははじめてのものにも惜しみ無くふんだんに光をそそぎ

人々はひんやりした川面を思い

川の岸近くにある広大な中洲を歩く

わたしはこの中洲は人工だという説があり

古代大陸から渡ってきた秦氏の技術ですと受け売りを語った

「ゆめはそのさきには もうゆかない」
たしかこの詩のなかに「見てきたものを/日光月光を語り続けた」っていうフレーズがあるからか

日光と月光の菩薩をみながらその詩を思い出す。

それは広隆寺に飾られていた

そしてあの有名な弥勒菩薩座像が
どうみてもダ・ヴィンチ描く天を指差すヨハネに見えてしまうことを思った。

清涼寺はじめてですか?と連れの方にきかれ

青龍寺」と聞いてしまったが

はいと答える。

どちらにしても答えは同じだ。

この言い回し、誰の真似だか、

自分ではわかっていてこうやってかわしてみせようと

手の内を明かすふりをして

こんな言葉の間接のはずし方を

下手くそに真似ても詩なんか書けないのはわかっている。

ただ帰ってから妙に詩を読みたくなって
そのあとこうやってその詩にあわせて書いてみているのだ。
しかしあれだなそんなこと何年もなかったが

なんの因果か年離れた友人に誘われこの間行ったコンサートの

歌手が意外と詩のやり手で

なんと間接はずしのうまいこと

ブルース・リーのごとくにぼきぼきと上手にはずしまくる

天は二物も三物も与えるものらしい

話は変わるが、普賢は象に乗り 文殊は何なのかあれは?

犬ではないし獅子とは思えない獅子に乗っていて

その獅子は緑だか青色の顔だった。

そこで、長年の謎だった、そうか寒山拾拾トクの話はそういう…

とは思うのはできても「拾トク」の漢字が書けない

「拾」だか「捨」だかもあやふやだがこれは「ジュッ」と打つと変換してくれた。

賢い携帯だが情けない こんなことしか思えなくて。

そんなことより、どうしてもあのとき一緒に仏像を見ていた
若くはないが服装じゃなく見かけがずいぶん若いたぶん独身の
女性観光客の大集団の正体が気になっていた。
なんの団体なのか「文化係」とかいた名札をみんな下げていたが

勉強をしに来ているようで、聞けるような雰囲気でもない

美術館で声は掛けれないように

昔 展覧会でたしか知っている人を久しぶりに見た気がしたが

お互い知らぬ振りで展示を見つめていたことがあった。

(あれもたしか仏像が多かったな)

話が脱線したが、その若い歌手が詩がうまく歌もうまく

役者としてもうまいのだろうがなにせ余裕がある

女性だからかもしれない

男子は戦慄しちゃうからなぁ。

こんなふうに書いていっていいのか

それとも評論家ならばわたしは

普賢菩薩文殊菩薩像を見たと書くだろうが

つまりあの鴎外の「寒山拾トク」はあれは師を探しにいくのだなと

はるばる旅して行って、師は意外と身近にいることがわかった
もしかするそれを教えてるわけなのだなとか。

連れの方からこの寺のお釈迦さん像は

インドから渡ってきていて昔

鑑真がひと目見て出家しようと思った仏像がモデルで

この寺で同じく法然がその仏を見て民衆救済を発心した。

背中のふたを開けたら内蔵を布袋で型どった模型がでてきて
宋代の中国の天才画家の現存するただ一枚の版画がでてきたという話をしてくださった。

その方は関東から仕事に来られていて、
線量計を持っておられためしに嵯峨野の線量を計っておられた

0.13マイクロシーベルト

思っているほど低くないが、その方のおうち付近は0.3だという。

この方は実際に仕事が教師なのだが、わたしにとってもそうなのだと。

ようやくこの詩?も終わりに近い

書きたかったことじゃないことが書けて
ついでに書きたかったことを書けずによかったのだ

下弦の月が指し示す 永遠に続く…」
そうこの歌だ。そしてまたふと思う

書きたかったこと(タイトル)に戻ると
寝る前に思い出したフレーズ

引用で書くと

「小説の『死』のあとに生まれた物語のことを、『羊をめぐる冒険』のなかで『僕』はうまく言い当てている。

歌は終わった。しかしメロディーはまだ鳴り響いている。」(ユリイカ臨時増刊・総特集 村上春樹を読む p.103 清水良典「作家『鼠』の死」)

そういえばずっとお寺を見ながら

わたしの頭でコンサートで聴いた歌の切れ端が鳴り響いていたのだ

さっきのやつの歌のはじめ
「言の葉は…」

そのあとはメロディだけで詞を覚えてない…

おまけに広隆寺のまえにはそれも別の歌にあった

路面電車が走っていた

わたしは教師である人とその路面電車
発車寸前に車掌に急かされてホームを走って乗った
ホームが反対側だったのだ。

路面電車に乗りどこまで走り抜けよう?
どうせ海岸かそこらあたり。」
(『invitation』柴咲コウ