「B面」の日・月・年

「はっ!今日はあの日の逆を自分はたどっているな」と思わざるを得ない日がわたしにはたまにある。
たとえばある用事で普段は降りないような途中駅で降りる。
そして数週間して、そのことを意識せずに、同じ駅にたまたま、そこまで友達と一緒に来て、その駅から家に向かっていたりする。

それがいわば前にイレギュラーにその駅で降りたことの「振り返し」、「修復」に思えるのだ。

振り子には振り返しが必ずある。
大きく振れれば、大きく戻る。

あるいは自転車でたまにしか通らない道を、そこを通った数か月後に、たまたま今度は逆に通ったりする。

必ずそういうことが、たとえすぐには起こらなくとも、いつかは、たとえば何十年後かに、あるように思われる。

頭の中であのときの映像があるとすれば、そのフィルムを逆回しにしているような進み方を想像する。

なかなか説明が難しいが、わかっていただけるだろうか…

うまく言えないが、子供の頃、寄り道ということをする。いつも同じ道を通るのだが、その日はたまたま違う道を通ってみる。

すると忘れた頃に、友達と歩いているとたまたま同じその道を通ったりする。

とにかくこれは、面白い感覚である。

この世のすべての出来事に共通する物理学で言う作用反作用の法則が、つまりわたしたちの体験にもあるような気がしてくる。

時間を経て、振り子が戻ってくるようなものだ。これはわれわれが物理学の法則から免れないこと、地球が自転しながら太陽を公転軌道に沿って回っていることの、ひとつの証明のようにも思われる。
良いことがあれば悪いことがある。

「禍福は、あざなえる縄のごとし」と古人は言った。
つまりいいことと悪いことは、荒縄のように寄り合わさっているという意味だ。
波は寄せ、またひいていく。

わたしは、自分で、そういう日や出来事のことを、最近「あのときのB面の日(こと)」と呼んでいる。

思えば、B面と名付ける日は意外と多い。しかし避けることはできない。

むしろ、それがわかれば、何かと楽しめるものだ。

プラスマイナスゼロで帳尻が合う。

そういえば、運勢学でも、運気は、よすぎても、悪すぎてもだめで、いわば中間の日がよい運気の日ということになるらしい。

それと通い合うような気がする。

わたしがいま歳不相応のフリーターとして過ごし、余った時間で自分のやりたいことをしているのも、まったくバイトらしいバイトをせずに過ごした学生時代の帳尻合わせでは、などと思わなくもないのである。

わたしはなんとも、いまから思えば、やりたいことをやっているようつもりだった学生時代、意に沿わないことばかりしていた記憶がある。「自由」だったのになぜか、面白くなかった。

いわばそのB面がいまの時間かもしれない。いまがかなり面白いためだ。