三春町の決断〜NHK2012.9.30放映「明日へ」をみる 台風17号上陸前日に買った早生みかん

台風の影響で30日17時現在、雨風が非常にきつくなってきた。
予報は、今日夜近畿に来るとかでテレビで気象庁が「用のない外出はしないでください」というコメントを発表していたが、いま激しい風雨が京都市を襲っている。
前の職場は教育系のサービス業であったので、こういう日はいつ店を閉めてお客さんを帰すかに頭を悩ませた。交通機関がストップする可能性があるからだ。また、夜にある講座を休みにするかどうかも決めなければならなかった。
わたしの勤務していた会社には、はっきりしたこのような事態になったときのマニュアルはなかったが、他の教育機関のこの台風の際の対応で入手できるものを参考に、自分達でガイドラインめいたものを作り、それにしたがって対応した。
こういうことについてのマニュアルがしっかり備わってないのは、会社としてどうなのだろうか、と当時は少し不満に感じた。なにかにつけて、マニュアルがないのが、この会社の特徴でもあった。
しかし、今日NHKの特集を見て考えが少し変わった。
「明日へ 被曝から住民を守る ヨウ素剤の服用を指示した福島県三春町の決断」というタイトル通りの有名な出来事〜福島原発事故後に住民の安全をはかり、国から指示のない状況で、ヨウ素剤の服用を決断した福島県三春町の町役場の、決断に至るまでの当時の様子を探るドキュメントである。
なかでは、この決断を市長に促した保険課の課長と、事故直後から直接住民の対応をした保険師へのインタビューを中心に、当時の状況を再現していた。
驚いたのは、政府や東電からの情報があまりないなか、不正確かもしれないその情報を疑い、自分達で集めつかめる情報を分析し、風の方向を調べる吹き流しまで自作で作り、住民を守る最善の方策を手探りで見つけようとしていた点であった。
福島原発10km圏内からこの三春町に避難してきた人たちに、政府はヨウ素剤を渡していたらしい。その三春町の保険師の方は、その避難者から、避難するとき渡されたヨウ素剤を飲むべきかどうか尋ねられた。
それがなんの薬かも避難者は知らされず、渡されるときに飲むのは自分で判断してください、みたいなことを言われていたらしい。
保険師はそれが放射能の被曝をおさえるヨウ素剤であることを知り、はじめて事故の深刻さを認識する。
そうした情報は当時公式には発表されていない。三春町の役場の人たちは、この時点で政府はあてにならないことを感じて、独自で動く方向を模索しはじめる。
問題はヨウ素剤を服用するタイミングだったらしい。
ヨウ素剤は、服用直後は93%の放射性元素を除去する効果をもつ。しかし服用後時間がたつごとにその効果が薄れていく。
三春町の役場では、薬を服用させるだけでなく、その種の薬の効果を最大限にする時間まで考える知識情報をつかんでいた。それは、おそらく誰も3.11までは、限られた専門家しか知らなかったはずのことである。
役場の人たちのこうした取り組みは、原発事故のマスコミ情報と、最初役所の屋上、つづいて小高い丘の頂上にある福祉施設の屋上に独自に設置した簡素な吹き流しから、風の方向を読み、放射能が三春町を襲うほぼ正確な予測をなすまでにいたっていた。
政府の予測システムSPEEDIは、事故直後の停電のため、事故時の放射性ヨウ素の排出データをつかめず、そのためヨウ素拡散の予測データがだせなかった、とこの番組では説明していた(その真偽は定かでない、との情報も別ルートではあるのだが)。
三春町の役場では政府の指示でないこのヨウ素服用対応を、独自で決断するため、その決断にいたった状況証拠をいくつか残そうとしていた。それはあとから政府その他の機関から横やりが入った場合の最低限の抵抗のささえとなるはずだった。
そのひとつが吹き流しがしめす風の方向だった。カメラに収め、ヨウ素服用の決断をするその日の朝、カメラごと管轄市役所の市長室に持っていったらしい。
番組で、この決断の根拠となるだろう発言があった。
保険課の課長がインタビューに答えていた…「もしヨウ素剤を服用して、結局放射性物質が健康に影響ないレベルにとどまり、薬の後遺症が継続するリスクと、服用しなかったときに放射能の被曝をしてしまうリスクと比べた場合、後者の大きさは計り知れないだろう」
当時のあのすさまじい状況のなかでよく冷静にかつ勇気をもって、判断実行できたと感心する。
マニュアルなぞ、あるわけがない。誰もが想定外の状況に遭遇し、決めなければならなかったのだ。
そのなかで、三春町の役場の方々は、かなり理想的な振る舞いをされたと思う。わたしの前の会社とは比べるべくもないが、マニュアル(教科書)というのが、いざというときあてにならず、それに従うだけでは、事態を打開できないこと、現場思考で教科書にとらわれずに考えるのが大切なことは、どのような状況や組織、個人的な活動でも言えるように思える。
しかもその際、感覚だけでなく、その方法を採用する根拠が明示できなければならない。
緊急の事態でもそういう手続きをはしょらず、丁寧さを失わずにことをすすめていた三春町役場には学ぶべき点はたくさんあるように思う。
三春町には、樹齢何百年かのみごとな垂れ桜「滝桜」があり、毎年30万人の方がそれを見に訪れるという。
この番組を見て、まだあの事故が本質的に終わっていないことを痛感した。もちろん被災地では復興もままならない状況にくわえ、福島では放射能物質の除せんも進んでいないときく。いまだに避難されている方もたくさんおられる。
被災地以外の地域にいる人間としては、今一度、あのときどうすべきだったかを問うとともに、教科書(マニュアル)を作るだけでなく、そこにない事態が起こったとき、独自に対応できるシステムなり考え方をもっと身に付けねばならないのではないか。
これは言うはやすく行うは難いことである。というのは、わたしたちが学校で主に受け、いまも学校でおそらく主流としてゆるぎない教育は、いかに教科書をマスターし、テストでいい点をとるかに焦点が合わされているからだ。
そして、危機的な状況で最善の方法を判断できる能力は、おそらくその方法で身に付けるのは難しいのではないか。
なかには三春町のようなケースも他にあったかもしれないが、一般に政府や東電の事故後の対応が後手後手だったのは、おそらく、彼らが教科書順守タイプだったからだろう。
ではどうすれば、よいのだろうか。どうも、少なくともいままでの方法では、たくさん不備がありそうに思える。
原発が今後どうなるか、もちろんそれも大切だが、仮に事故になった場合また同じようなことにならないように、自分達がどうそのとき行動するかをふくめ、いろんな場で最善策を考えるべきでないかと思う。原発の存続非存続もそのなかにはいるが、大飯原発はいまも稼働している。

昨日、京都駅の八条口アバンティを下がったところにあるFamilyMartで、早生みかんを見つけた。特売で200円だった。
買って食べてみたら、小ぶりで青々としているが中身は熟していて、美味しかった。
このファミマには、野菜をたくさんおいていた。近所にスーパーがないので、売れるのだろう(わたしはレタスも買った。128円だった。)