開高 健「河は呼んでいる」のなかの詩〜「・・・この章にワスレナグサの花束を添える。一篇の背後にあるのはあたたかい励ましと見る。」」

一気に、といっていいくらい、秋になった。
川遊びをしていて、足のつく水底が突如として深みになり体が沈んでしまうことがあったが、そんな感じで、秋の底が急に深くなった。

そんな季節の段差のちょうど崖っぷちだった、22日金曜日、この日はまだ夏の名残のある日差しがあったが、風はもう秋の気がたっていた。
自転車で、知人と会うため、歩道を走っているとき、何の詩だったか、ふいにひとつの調子、言葉にならない調子としての詩を思い出した。

「『鏡の中の鏡、女の中の女』・・・だったか?違うな〜。でもそんな感じだった、、、。」

これは、あの人の名前はなんだったか、たしか、、という最近悲しいが起こる記憶障害に似た出来事だったが、こういうときは、時間をかければ、経験的に思い出せることを知っていた。
そして、知人二人に続けざまに会い、古書店や公園をふらふら自転車でうろつきながら、帰る段になって、やっと思い出した。

開高健の『もっと遠く』という、写真&釣エッセイ集があった。これは、開高健が、北米大陸を釣竿を持って縦断するという、冒険的な釣旅の記録であるが、この本のプロローグに、この旅の成り立ちを書いた「河は呼んでいる」という章がある。
この文章は、開高さんのエッセイの一種頂点的な味わいがある名文であるが、その文末にたしか詩が引用されていた。その詩を思い出したのだ。
この詩は、名のある詩人の詩ではなく、開高さんが、この釣旅の最初にアラスカでサーモン釣をしたとき宿泊したロッジの酒場で、知り合ったアメリカ人から、アラスカを去るとき、手紙が届いた。そのなかに、「ポンコツに」と頭に書かれた自作の詩が入っていた。
開高は、この一夜の夕食をともにしたアメリカ人に、自分のことを「私は四十八歳のポンコツであり、小説家である」と自己紹介した、とその直前の文章に書いている。
そのアメリカ人は、じつは詩人で、「シアトルの詩人」と開高は書いている。名前は書いてない。そう高名ではない詩人だったのだろう。
その詩を彼は、自身で日本語に訳し、日本に帰ってから、エッセイに引用したわけだった。
わたしは、昔、この詩が、どういうわけか好きで、気に入っていた。この日、どういうルートを通ってかわけがわからないが、出てきたのだった。
日ごろ、頭が整理できてないのは、部屋や本棚と一緒なのだが、たまに整理していると、こんな本があったのかと、読んでしまったりすることがあるが、そんな風に、記憶も出てくるものらしい。
それは、一種、飴玉をねぶるみたいに、思い出す歌のように、しばらく楽しめる、頭からのことばの贈り物であった。(以下に引用させていただきます。)

ポンコツに。


アルプス越えのランボォ


つねに彼は若者にもどって思い出を噛みしめていた、まさに正しく。彼は山中で、グスタードを過ぎ、桜の木にすわり、鷹たちが雪崩のあとをさまよい、急降下し、滑り、主人のもとに、深い霧のなかの馬に乗った男たちのもとに帰っていくのを見つめた。彼は滝の近くの一軒家で後家と暮し、ベルギーから送ってきたヴェルレーヌの真似事の薄い自分の詩集を読んで聞かせた。そのときすでに彼は詩作を諦め、詩集のかわりに地図と磁石の入ったバッグを手にし、ベルリン製の豪華な財布ベルトをつけ、金鉱探しに東方へ向うところであった。後家の両腿は白から赤、赤から雪の青と変っていった。

女の蒼白い鏡のような顔が彼をベッドのなかで半身起させ、女の背がまわると、彼はひとことふたこと呟やき、自身の姿をまざまざとそこに見た。砂漠の眩暈のまさにそのかなたにいる男。たくさんの名前に答え、声をだして沈黙をふりまく男。両足を壊疽で犯す太陽にみたされた空。額に雨のように降りかかる金。夢にまで恐れた錬金術師の金……

後家は火をかきおこし、ブラウスをゆるめた。彼女は少年の髪を梳いてやりながら彼がひっきりなしに手をうごかしてお喋りをするのを聞くのが好きだった。また、少年が息を喘がせ、彼女から落ち、朝陽のなかで体を丸めて穏やかに眠るのを眺めるのが好きだった。数日後、山を何マイルか上った場所で、白い手袋をつけた一人の男が、霧にまぎれながら、雪のなかに、半ば青い影に埋もれ、冷えこんで、熱を患っている彼を見つけた。そして、フランスへ彼を送りかえす手筈をととのえてやった。
死なせてやるために。
少年は二十歳だった。
彼は東方へ旅だち、さらに十七年生きた。



川で腹をたててもしょうがないよ。
また会いたい。電話はいけないよ。じかに。

                              笑う心。
                          一九七九年、夏。
ちくま日本文学全集 開高健』(筑摩書房p.458-60)

たしかに、巧いといえる詩ではないかもしれない。なのに、記憶に残るのであるのは、どうしたわけだろうか。