3月30日の日記

さきほど、一度エントリーしたブログを誤って消してしまい、もう一度書かねばならなくなってしまった。。

たいしたことも書いてないが、もう一度書くのは気が引ける。しかしやりかけた以上、書かないといけない。

昨日、職場に用事があり、たまたま晴れていたので、バスを使って出かけた。いつもなら、車で行くところを、バスに乗ったのは、桜並木が道沿いにあるからだ。

確か一昨日は、まだそんなに咲いてなかった。昨日、ほぼ満開になった。

このバスは、昔職場に通うときによく乗っていたバスだった。しかし、最近はめったに乗らない。この季節に、乗ることができて、桜を見るのは、何年ぶりだろうか。

最初は、この桜並木の傍を通るバスではなく、地下鉄の駅まで行くバスに乗る予定だったが、そのバスに乗り遅れたので、仕方なくそれに乗ることにしたのだった。

しかし、そのほうが数段よかった。

職場へは、バスを降りて、しばらく歩き、地下鉄に乗らないといけない。その道々でも、花見をしようと出歩く人々が多かった。自転車もたくさん走っていた。

職場で用事を済まし、また地下鉄に乗り、この地下鉄も満員に近かったが、一緒に出た母を待たせていた喫茶店に戻った。母は、いつまで待たせるのか、少し怒っていた。二杯目の紅茶を飲み干していた。

うちの母は、70歳になる誕生日の前日、自宅でくも膜下出血を起し、救急車で運ばれた病院で手術を受け、一命を取り止めた。幸い、手足の麻痺はほとんど残らなかったが、失語と物忘れがひどく、高次脳機能障害と呼ばれるらしい障害がある。

そのひとつは、誰彼となく親しげに話してしまう一種の「躁」の状態が持続することだ。自慢話を、見ず知らずの他人にも、何回もしたりしてしまう。

このときも、喫茶店のウェイトレスの方に、話し相手になってもらっていたようだった。

この状況は、姿と年齢はまったく逆であるが、子供と一緒である。どうも何回も同じことを繰り返したり、人の言うことをうまく聴くことができなくなっているため、何度も同じことを言わないといけない点など、幼児もこのような感じかと、思える。

待っていた母を連れて、花見客がたむろしていた川べりの土手をうろうろした。シートを広げ、宴を開いている人たちもたくさんいた。

この川の三角州の近くに、弁財天を祀っている祠があり、時々寄っているのだが、ここのボタンと木蓮が満開だった。それは桜におとらず、すばらしかった。




弁才天は、芸事の女神であるが、どうも蛇とも関係が深いらしい。祠に蛇の絵が飾られている。

おそらく、この河原には、古代からミュージカル的な芸人の小屋がたくさんあったのではないか。

弁才天は、祇園に近い知恩院の裏手にもある。おそらく舞妓さんが、芸事の上達を願いお参りするのだろう。

帰りのバスで、母は、うちの弟の友達のお母さんなる方に、ほぼ20年ぶりくらい久しぶりに会っていた。昔のことは、瞬時に思い出し、第三者にはその障害がわからないくらい、普通に話している。それが、いつでもなんとなく意外に思う。

春という季節には、ふいに懐かしく忘れていた人や物事に出会うところがある。

バガボンド・カフェ@ブッダ・カフェに参加してくださった方、本当にありがとうございます。報告をしなければいけませんが、まとまっておらず、またあらためてさせていただきます。)