物憂し されど 美しかれ五月

昨日の雨がやみ晴天。
されどなぜだか心は晴れない。
新聞、ニュースでは混迷を極めた政治ととくに昨日は「本土復帰」40年を迎えるも、普天間移設騒動から再燃したかのような基地問題がいまだ一歩も進展せず、複雑かつ忸怩たる沖縄の方々の思いを伝え、考えさせられた。
それにしても、昨今の自動車事故(特に京都近辺)の多さに、なんともいえない異常さを感じる。
ご家族の方の無念さは計り知れない。無謀な若さにより、幼い命が失われ、それが社会自ら我が身に課した法律により、なぜかしっくりこない裁きが報じられる。
事故は、あれから後を絶たない。車が一瞬で凶器に変わることを、考えないといけない。仕事やレジャーと一体になっているので容易には乗るのを止められないだろうが、(自分を含め)極力、交通機関を使い、車は乗らないに越したことはないように思う。
自動車会社は困るだろうが、タクシーも京都はとくにふんだんにある。
昔、わたしが行っていた予備校で古文の名物教師がいた。すでに喜寿でも迎えそうなお歳であったがお元気で大きな声で講義されていた。
その先生は、よく自動車について「横断歩道は信号が青でも走って渡るようにしている。車に乗せてもらうのは極力固辞し、どうしても断れず乗る場合は『お命お預けします』ていう気持ちでビクビクしながら乗ります」という話をされていて、よく覚えている。
それくらい車には、乗るときも歩くときも注意しろ、ということだ。
学校(とくに大阪)も、学力より交通安全教育、そしてやはり命の大切さ尊さを教えるのが先決ではないか。
立派なことが言えるような運転でなく、事故も起こしたことはある。しかし、時々その古文の先生の話を思いだし、乗っている。

先日、すこし『ブレード・ランナー』のことを書いた。あの映画のラストは非常に歴史的な感動を呼び起こす名場面なのだが、(詳しくはともかく一度観ていただきたい)その反乱した「4匹」のレプリカントのボスだった男が死ぬとき、言った言葉は感銘深い。たしかこんな感じだった。うろ覚えだが…。

「宇宙の果てに銀河の星が流れ消えるときの光を見たことがあるか?それはすさまじく美しかった…。俺たち(ロボット)は君たちが見ることはない素晴らしい世界を見ることができた」

ここにたった4年しか生を授けられなかったロボットが生きることの素晴らしさと、命へのいとおしさを一瞬にして感得した様子と、そのあふれるような思いがこめられていた。

そして、五月晴れ。新緑に花花の彩りが映える。
今日は昨日雨で順延になった葵祭の日らしく、道理で職場へいく地下鉄にどっと観光の方々が乗り込んできた。
外国から来られているような人たちもいた。Tシャツに半ズボン。なるほど地下鉄を降りると外は暑いくらいだ。

わたしはなぜ、晴れにも関わらず、心が重いかについていささか思い当たった。それは地下鉄改札へ向かう通路で、壁にかけられた芸大生の作品群を見ながらだったが。
たしかに個人的ないささか恥ずかしい失態も昨日あった。しかしそれよりも、寝る前に聴いた音楽が口をついてでてきた。
永ちゃんのBALLADというバラードを集めたベストCD。1998年に出ている。
なかでも、SO LONG、回転扉なんか。いい曲、よかった。
久しぶりに胸がびしょびしょに濡れ、それでなんとなく心が重たいのだ。
いったい、あの時代、永ちゃんやそれを聴いていたファンたちは、何にさよならを告げていたんだろう?
それがなんとなくいまならわかる。
失ってしまったもの、というか。
うつくしい日々、友、恋人?「二度と帰ってこない」(回転扉)もの、つまり…、それは人には必ずある。
それにしても、(なんとなくこの文章もその影響でてますが)70年代そして80年代中頃までのバラードは骨太なのが多かったすね?矢沢さん。


職場近くの路上で↓