45年目の…村上春樹「羊をめぐる冒険」「祈る前に、考えて」高橋源一郎の論壇時評

わたしが学生の頃、1983年。当時はまだマイナーだが熱狂的な信者もいた村上春樹の懐かしい作品。たしかまだこの小説はハードカバーで文庫みたいに二分冊になってなかったと思う。
この作品で、最初に章立てで三島由紀夫の自決の日が書かれていることに数年前気付いた。
当時読み流していたこの冒頭の箇所は、ある意味戦後文学の転換を示す名場面かも知れないと思う。そしてなぜ、かなり「奇妙な」書き方で村上春樹があの日のことを書いているのかを考えはじめた。
別にことさらこの部分に、ある種の政治性を村上作品に見付けて、なんというか、文学論をこねたいわけではない。
わたしには、昭和のセピアの時代とポストモダンの無機質な感じがまだらに混じりあい、なにか異質なものが現実に飛び込んできたみたいな印象を受けるのだ。時間軸も奇妙にずれているような、、。

  水曜の朝に目覚めると雑木林を散歩しながらICUのキャンパスまで歩き、食堂に寄って昼食を食べた。そして午後にはラウンジで薄いコーヒーを飲み、天気が良ければキャンパスの芝生に寝転んで空を見上げた。
水曜日のピクニック、と彼女は呼んだ。」
              (村上春樹羊をめぐる冒険講談社文庫p.16)


  1970年11月25日のあの奇妙な午後を、僕は今でもはっきりと覚えている。強い雨に叩き落とされた銀杏(いちょう)の葉が、雑木林にはさまれた小径を干上った川のように黄色く染めていた。僕と彼女はコートのポケットに両手をつっこんだまま、そんな道をぐるぐると歩きまわった。落ち葉を踏む二人の靴音と鋭い鳥の声の他には何もなかった。」(同 p.18)



  我々は林を抜けてICUのキャンパスまで歩き、いつものようにラウンジに座ってホットドックをかじった。午後の二時で、ラウンジのテレビには三島由紀夫の姿が何度も何度も繰り返し映し出されていた。ヴォリュームが故障していたせいで、音声は殆ど聞き取れなかったが、どちらにしてもそれは我々にとってはどうでもいいことだった。」(同 p.20)


この記述を信用するなら、45年前の昨日、11月25日は水曜だったみたいだ。そして昨日も。

昨日、あるかたとこの日がその日だったという話をしたから書いてみた。なんと、11月25日は吉本隆明の誕生日でもあったらしい。
わたしには、その方と話せる驚くべき機会に恵まれた日になった。夕方から、この小説の箇所とは逆に強い雨が降ってきた。
ピクニックという言葉はもう使わなくなったが、加藤典洋氏の『敗戦後論』の扉書きに使われていたタルコフスキーの映画『ストーカー』の原作にも使われていたとされる以下のことばを思い出す。その原作は、ロシアの作家による同名のSF小説で、たしか原題はRoadside Picnicだった。

「きみは悪から善を作るべきだ。
それ以外に方法がないのだから。」

 今朝、朝日新聞高橋源一郎氏がパリの同時多発テロについて書かれていた。
先日来テレビで報道されているFacebook上のテロの被害者の夫、奥さんが亡くなり、小さな子供と二人残された方、のメッセージがそこにも紹介されていた。
そのメッセージにも、微妙にだが、この扉書きが響いている。(いま調べるとこれはロバート・P・ウォーレンという人のことばで、映画『ストーカー』の原作の題辞になっているものを加藤氏が引用しているのだ。)

 高橋さんは、もう一人、この事件に関しFBにある方が投稿した詩が大きな反響を呼んでいると紹介し、「メディアや世論の『大きな声』でなく、親密な、個人の声がいま緊急に求められている。そこに、世界を混沌から救う論理があるかもしれないから。」とその「論壇時評」を結んでいた。
そういえば、加藤氏が『敗戦後論』の最後の章「語り口の問題」で取り上げていた、ハンナ・アーレントが有名なアイヒマンの裁判を「ニューヨーカー」記事のためルポしたとき、イスラエルの同胞から浴びた大バッシングのことも、それは思い出させる。(このことは先年公開された映画『ハンナ・アーレント』で詳しく取り上げられていた。)
ハンナ・アーレントのこんなことばを加藤氏はその章の題辞にしていた。

悲しみ(grief)は、けっして口に出して語られません。
一般的にいって政治における「心」の役割を、わたしは全面的に疑っています。
(「語り口の問題」の題辞になっているハンナ・アーレントの言葉。引用は、加藤典洋著『敗戦後論』(ちくま文庫)p.238より)


 ここで、最初に書いた村上春樹がなぜ「羊をめぐる冒険」で1970年11月25日、あの三島の事件を奇妙なやり方で書かねばならなかったのかがおぼろげに見えてくる。
彼、村上は三島のことを「関係なかった」と書きながら、テレビやジャーナリズムの「大きな声」ではなく、「親密な個人の声」で考えようとしたのではないか。そこには高橋さんが書いていた「Don't pray,think」(祈る前に、考えて)のことばも響いているように思う。
なぜならこの冒頭の章は、「彼女」のこと、事故死したあるエキセントリックな学生時代の友人を追悼するシーンだからだ。

以下、高橋氏が「論壇時評」に紹介した詩です。

パリのために祈りたいなら祈りなさい
でも 祈りを捧げられることのない
もはや守るべき家すら持たない
世界の人びとにも
多くの祈りを
馴染みの高層ビルやカフェだけでなく
あらゆる面で 日常のなにかが
崩れ去ろうとしている
この世界に祈りを

(カルーナ・エザラ・パリークの投稿〜2015年11月26日朝日新聞「論壇時評」より抜粋)

追記:このときは気付かなかったが、この詩の引用の後、高橋氏は”Pray,and think"(祈ってそして考えて)と書いていた。