「意外な幸せ」

今日は意外なことが起こった。なんと、今日仕事の帰りに乗った地下鉄が人身事故で途中の駅で運行をやめ、おろされたのだ。

仕事は朝早くいって、昼過ぎに終わって、一度うちに帰り休んで、また夜、徹夜の夜勤があり出掛けるつもりだった。

乗客はここでは降りない人も、みんなこの駅で降ろされる。ホームで携帯で電話してる人がいたり、改札でバスに乗り換えか遅延届けをもらうためか列を作ったりしていた。

わたしは邪魔くさいので普通に改札をでた。

じつはその駅は、ふだんは素通りの駅で降りることはめったにないのだが、たまたま一週間前に用事があり来ていた。

そこで待ち合わせて、地下鉄で来る知人を迎えに来たのだ。

それを不思議に思う。偶然とは思えない。

その駅にハンバーガー屋さんがあり、むかしは通勤の帰りに、よく来ていたことを思い出す。母がまだ元気で、しかし介護を考えないといけなくなりはじめ、家に帰る前に途中下車し、悩みながらその店をよく利用していた。先週きたときは、牛丼屋さんに入ったので、入れなかったが、今日は入ろうと改札を出ながら考えた。

店のなかにはわたしみたいに突如途中下車したひとがいて、連れの方とそのことを話していた。

たまたまわたしは前日に、これも久しぶりにBOOK・OFFで文庫本を買って、持ってきていた。その本を店のなかでなんと大半読んでしまった。

薄っぺらい文庫本だからだが、そのなかに「意外な幸せ」という文章があった。

それは、つまり一見不便で快適じゃない生活のなかに、むしろ小さな幸せを感じる、みたいなテーマの文章だった。

抜粋すると、

「新しく引っ越したところは、前に住んでいたところよりも二十年ほど古い建物で、水もれするし食器洗い機はないし、食器棚もないし、風呂はためる方法でわかせなかった。前に住んでいたところは台所にいながらにして風呂もわいたし、食器は機械が洗ってくれたし、棚が大きかったのどいろいろな食器をきれいに重ねることができた。

ところが、なんだかわからないが私はものすごく幸せだったのだ。

この感じは文にするのがとってもむつかしい。」

(『バナタイム』よしもとばなな 幻冬舎文庫 p.128)

こうした不慮な事態で、足止めをくらって、どうするか考えながら、しばらくお茶を飲むというのも、同じような感じであるとつくづく思う。そしてかつての自分のことを思いだし、これからのことをすこし考える時間を持てたのことを、幸いにおもう。

しかし今日はまったく外は炎天下で、ついに外に出るとやばい季節についになってきた。これから気を付けないといけない。