年末年始

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今年あけまして、もう6日過ぎた。だが、わたしにはやっと訪れた休日だった。

なんだかめったやたらに忙しい年末年始だった。

29日からある派遣先職場では休日シフトになり、われわれが入って正規職員さんは休みに入った。(しかし仕事のある方は内緒で出勤していた。)

わたしのバイト先は年中無休なので、常なるローテーションで回っていて、夜勤なので時間帯はかぶらないのである。

それで両方人が足りないため、休めなかった。

なんとか乗りきったが、身体はやはりしんどかった。夏場なら持たなかったかもしれない。

1日、年明け直後の明け方には、毎週ボランティアで行っているところがあり、休みかと思いながら行ってみたらかなりたくさんの人が集まっていた。

終わったのは7時半頃でちょうど東山から出てきた初日の出を拝むことが出来た。

一緒に参加していた沖田君(仮名)と開いていたマクドナルドで珈琲を飲んだ。

彼は昨年ある資格試験に合格し、いまその有資格者向けの就職活動の真っ最中であった。もうすでに内定はでたといっていたが、かなり売り手市場であるみたいなことを言っていた。

というのは、彼いわく、ある年代の人たちがごっそり抜けている企業があって、そういうところは管理職候補の人材がまったくいないみたいでかなり探しているという。

たぶん氷河期に就職活動していた年代で多くはいま派遣で働いているだろう人たち、具体的には40代から50代前半あたりだという。

求人が増えているらしいのだが、本当なのか。

1日から3日まで連勤し、4日は夜勤で5日の昨日ようやく休みになり、今日も休みだったが、普段と違い、昔にはこれが普通だったサラリーマンの頃を思い出した。

だが明日からまた4連勤、祭日があるので、長くなるのだ。

今年はどうも仕事をどうするか真剣に考える年になりそうな気がする。

初日の出↓

ある結末

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前前回からガスの無料点検の予約の件を書いている。

時間の幅がある予約だと、何時にくるかわからないので、その時間帯にひきずられ困ってしまうという話。宅配とかもあらかじめその時間と言われたら何となく不自由に感じてしまう。

だからわざとセンター付けにしてもらったり、事前にわかれば、する。

点検は宅配のような訳にはいかない。ところが頼んでみたら、一度はその幅を縮め、わたしが必ず受け取れそうな時間に合わせてくれた。

なのになのに、わたしがその予約をすっぽかしてしまうという予想外の結末となったのだ。

これにはわたしもむやみに相手に無理をお願いすべきでないと反省した。

たが、世の中には不思議なことがやはりあるものである。

昨日のことになったが、わたしは知人に出先で郵便局からゆうパックでものを送ろうとしていた。

その出先は仕事の現場で最初からその現場近くで出そうと、送るものを持って家を出た。

しかし、宛先の住所が携帯のアドレス帳に入っていると思い込んでいたら、入ってなかった。携帯を変えたとき、住所を移せてなかったのだ。

わたしは郵便局で固まってしまい、他の事情もあり送るのを断念した。(他の事情については割愛する)。あらためて帰ってから送ることにした。

わたしは郵便局に結果としてなにもせず長時間滞在してしまい、照れ隠しに切手を購入した。購入するとき正直に、「いやぁ、住所書いたもの家に忘れてきたわ」と言ったら、「あ、そうなんですか。すみません」と謝ってくれた。

わたしが悪いのに郵便局員さんが謝ってくれたことにすこし感動した。

ローカルな小さい郵便局だったが。

わたしはしばらく近くにある神社により、所在なげにウロウロした。いちおう参拝もしたが、実はパンを食べる場所を探していたのだ。いくつかベンチがあるのだが、この日に限って参拝者が少ないが途切れず、座って休みづらかった。参拝の人は高齢の散歩らしきかたが多かった。

いつもなら車できていて、車中食できるわけだが、あいにく電車で来ていた。夜勤明けだったから眠く、運転が怖かったからだ。

来るときついうっかり居眠りして降りる駅を一駅乗り過ごした。各停で助かった。

仕方なく神社をあとにし、わたしは近所の公園を探した。だがどうもまだどこになにがあるかわかってない。もうかれこれ3年くらい仕事できているが、わたしはあまり新しい土地に馴れるのが得意ではないのだ。

だが、仕事の現場のすぐ前に小さい公園があるのを思い出した。そこで食べることにして向かった。幸い、誰もいなかった。

天気はまあまあで寒くはない。公園のすぐ横の家の庭木を剪定している老人がいた。どうも植木屋らしかった。

しばらく公園でベンチに座り桜の立派な古い樹の

肌の模様を見たりしていた。ゆったりとした時間だった。

わたしは帰ろうと思い、駅に向かってあるいていた。するとその仕事先の雇用主がちょうど家に車で帰ってくるところにでくわした。

その道の途中にその人の自宅があるのだ。

わたしは挨拶をして、行きかけたが、仕事の報告をしに戻った。そして知人に送るはずだったものをその人に渡すことにした。

結果としてそれは喜ばれ、翌日の今日お礼のメールまでもらった。

予定とはなんだろうか。

もしわたしが予定通り、知人の住所のわかるものを持っていて、それを予定通り送ることができていたら、もっと早く帰り、雇用主とは会わなかっただろう。

また神社によったりして時間をつぶしたり、公園でゆっくりすることもなかったに違いない。

予定通り送ったものはわたしが勝手にいいと思って送っただけで、はたしてほんとうに喜んでくれるかもわからない。

自分で考えたり思い描くこと以上の結果が、ときどきもたらされるのは、単なる偶然なのだろうか。

これがいわゆる「他力」ということなのか。

今晩の月は満月できれいに晴れて明るい。そのかわり冷えそうだ。

ガス無料点検2~先日のつづき

先日ガス点検のことを書いたのだが、その後日談。

なんとわたしは予約していた点検日を結果的にすっぽかしてしまったのだ。

話はこうだ。

まず最初に入れた予約時間は幅が広すぎ、だいたい真ん中くらいかな、と思ったのが、結果早く来たみたいでわたしが予約を守れないかたちになった。それは前にかいた。

そして点検日の予約を入れ直した。そのとき、時間の幅が大きいからできたら遅めで、と頼んでみた。そしたらなんと、それが通ったのだった。

具体的に言うと朝9時から12時の時間帯を予約したのだが、遅めの時間というと、「わかりました。では11時くらいにうかがいます」と言ってくれた。

最初からそう言ってたら、前回うまくその時間にできていたのに。

ともかくわたしはそれでホッとしたのだったが、いかんせん、その予約をすっぽかしてしまった。

つい用事が入り予約していたのを失念し、留守にしたのだ。

こんどは二回目だったからか、しっかりしたB5サイズの通知みたいな紙がポストに入っていた。それに○月○日○○時にうかがいましたが、お留守でした。連絡してください、と書かれていた。

さすがに悪い気がして、すぐ連絡し、二週間後の今日の午前にしてもらった。

前回とおなじく、遅い目の時間に、と言った。夜勤明けで寝込んでいたらまたスッポかしかねないからだ。

しかし、今回は、いや時間帯だけしか予約できません、と断られた。

わたしはすぐ引き下がり、仕方ないなと覚悟を決めた。

結果、わたしはやっとその点検マンが来たとき、なんとか起きて、対応することができた。

実は今日もまた外出する用事ができたのだった。

でもわりと早めの9時半に来てくれたので、その用事にギリギリ間に合った。それは仕事だったので、もし、前回同様、遅めの時間とか言っていたら、間に合わなかったろう。

このことを考えてみたら、ざっくりした予約でも、けっこううまく回ることができるのかもしれない。それは正確な予測や読みを越えている。偶然の結果に見えるが、決まっているのかもしれないのだ。

それは、今日経験した出来事と深く関連している。

(to be continued)

ガス無料点検(時間の予約)について

久しぶりに更新するが、今回はあまりじつは書きたくはない内容だ。だが、やはり言ってしまいたい気分は高まっているので書いてみたい。

9月の中頃、留守電に何回かガス器具の無料点検にうかがいますので、とのメッセージが入っていた。

それで、こちらから折り返し電話したら、予約を承っています、とのこと。毎年一回某Oガスがガス器具の無料点検を行います、といって電話してくださるのだ。

わたしは在宅の可能性がある日を告げたが、時間はある程度幅のある時間帯を指定された。いちおう選ぶことはできる。宅配便の時間帯に似ていて、午前中とか午後12時から15時とか、を選び、ピンポイントで選ぶことはできない。

宅配なら仕方ないと思うが、これがかなり不便なサービスであることを実感した。

今日がじつはその日でわたしは15時から17時の間、で予約した。

が、用事ができて外出し15時には間に合わず30分くらい遅れて帰ることになった。

わたしの読みではたぶん15時は回るだろう、と思い、すこし遅くなっても大丈夫だくらいの感覚でいた。

電話して「その時間帯のおそめにきてほしい」と要望を伝えたらきいてもらえたかもしれないが、そこまでやる気が起きなかった。

だが、帰宅するとすでに遅く、ポストにそのガスサービス会社の名刺が入っていた。

「15:06に来た」とメモ書きしてあった。

かなり早く来てくれたみたいだった。たぶんわたしが待っていると思ったのだろう、、(普通はそうかもしれない)。

たまたま同じガス会社の車が向かいのうちの前に停まっていたので、うちが留守だったからさきにそっちに行ったのかもしれない、と思い、ずっと待ちながら車が動き出さないか見守った。

15分くらいしてガス会社のスタッフが車に乗りエンジンをかける音が聞こえた。

近づいていって、さっきうちの点検に来られましたか、と声をかけてみた。すると、違うとのこと。事情をすこし説明したら、

「名刺が入ってませんでした?」ときかれた。

はい、と答えると、さらに「なにか書いてませんでした?」

ときかれた。

時間が書いてあったといったら、

「きょう点検の予約されてたんですね」といわれた。

そう言われてしまって、すこし困った。

こちらが時間の約束を守らなかったみたいなことにどうもなってしまっている。

たしかにそうにはちがいないのだが。

そのときはなにも言えなかったが妙な感じがした。ガスのサービスマンは、電話してくださいとのみいって、車で去っていった。

電話仕方なくすると、別の日をあっさり取ってくれた。が、時間帯がまた広く、何時間か拘束されてしまう、、。

べつにガスコンロの調子はおかしくないし、一年に一回点検しなければならない決まりもないはずだ。

いわばこれは古いガス器具の買い換えを促すセールス的な営業なのだ。

なのにこちらから予約させられ、しかもその時間帯の幅が広く、向こうが遅ければそれだけ動ける時間がなくなってしまう。

たぶんそう苦情を言うと、「保険的に長く時間とってますが、だいたい予約時間のはじまりにきます」的なことを言われる予想はつく。

これが「大人」の営業なのか。広い時間帯を、馬鹿正直に鵜呑みにしたわたしが悪いのだろうか。

しかし、もし15時から17時を予約した場合でも、結局ほぼ15時と変わらない時間にくるのなら、(そういうことが多かった気がする、忘れてしまっていたが)いっそ

30分くらいラグがありますがだいたい15時にいきます、

といってくれたほうがありがたいし親切だと思う。

というのはわがままなのか。

たぶん予約の開始時間に家にいれる日でないと、いけないのだろうか。

すると予約時間を正直に考えたら、最悪半日くらいつぶれるかもしれない。

しかし、実態として15時から17時の時間帯にしたら、15時半までにきてくれそうな気もする。

それが無理な日がやはりあるのだろう。

それにしても、3時間は長いとつい思ってしまう。

たぶん仕事を普通にしていたら土日以外そうなると無理だろう。土日もサービスはあるのだろうか。わたしは平日休みの日が多く、その点心配ないのだが、、。

睡眠と栄養について

今日は昼仕事のあと夜勤に突入し、いつもより起きている時間が長い。といっても、いま午前3時であと1時間で勤務は終わる。夜勤のない日は1時くらいまで起きているのだから思うほど、相違はないのかもしれない。

だがうちに帰ってあれやこれやしてると、夜が明けてしまい、昼夜が逆転するのだ。

慌てて帰っても5時近くになるから、その頃はいまだともう明るい。

いつも夜勤と睡眠の調整に苦労するが、これといったノウハウがいまだに作れないのは困りものなのだ。

連休前に一軒大きな庭の手入れ仕事があり、それからずっと昼間庭の仕事がちょこちょこあった。

毎年いまの時期は雑草を取りにいくのだが。

今日もその仕事が昼間あり、長時間かがんだりしているせいか、腰や背中が痛む。だが、夜勤は立ち仕事なので、動きかたがまったく違う。一種のリハビリと考えればいいのかもしれない。

だが、夏場にこれが続くと、太っている暇がない。たいてい体重がかなり落ちてしまう。

先日健康診断で血液検査でひっかかってしまった。病気を疑ってしまうが、医者によれば、栄養状態が悪いかもしれないとのこと。

たしかにしっかり食べてないと言えるかもしれなかった。車のなかで運転しながらとかがやけに多い。あと、夜勤明けだとどうしてもまとめ食いしてしまったり。そういう習慣がやはり結果に出てしまっているのだろうか。

それと、夜勤していると手持ちぶさたの時、昼間よりなにかを食べてしまう。お菓子やパンが多いのだがそれでなんとか疲れをごまかしているのだ。

それで、昨日はスーパーで野菜と肉を買うようにした。いままでたしかに弁当や惣菜、めん類、パンばかり買っていたのだった。

今日は、夜勤中小腹のすいたとき用にサラダを持ってきた。ほうれん草と水菜を切っただけのものだが。

さっき、じつはそれを食べた。

すると、なんとお客さんが突然、某M社のハンバーガーを差し入れしてくださった。

うーん、わたしの状況をまるで知っておられるかのような振る舞い。ファーストフードではあるが、菓子よりは栄養あるだろう。ありがたくいただくことにする。

睡眠と栄養はやはりしっかりとるしかない。それを効率的に短くしたりまとめたりはどうも難しいみたいだ。

続2021年のGW 椎名誠の初期短編小説

ゴールデン・ウィークにはいった、と何か大袈裟に前回書いてしまったが、実際のところ、まだ今日30日は月末?のせいか仕事の人も多く、もちろん学校もあった。

郵便局や銀行も開いていた。だが、どうも通勤はやめれるところは早くからリモートになっていたらしい。(たぶん大手だけだろう。)

昨日のつづきみたいな感じだが、わたしにはときたま無性に読みたくなる本があって、それは椎名誠がデビュー当時書いていた短編小説だ。

なんだかそのときの気分は独特で、気持ちがくさくさして塞ぎがち、体調が悪かったりして、もう寝てしまおう、なにが起こっても知ることか、みたいに思っていて、椎名誠のその小説世界をひたすら求める自分に気づきあわてて彼の文庫本を探しに本だなをみにいくのだ。

その昔大学を就職先も決めずに卒業だけしてぷらぷらしていたとき、気持ちが落ち込むなか、わたしはその頃もう流行りのピークがすぎていた椎名誠に出会ったのであった。

たしか、それも時期的には5月のGWだった。いまからもうかれこれ30年も前のことだ。信じがたいが。

大学のサークルの後輩の結婚式が遠くで行われた。彼はわたしと同じ年に卒業し、社会人1年目か2年目でもう結婚した。わたしはまだプラプラしてたけれど、それに参加しにいった。もはや旅行に近い。卒業旅行も理由はないが行かなかったから、久しぶりの旅だった。

そのとき、たまたま買っていた椎名誠の短編集『蚊』を持っていったのをうっすら覚えている。

だが、この傑作短編集の最初の作品、知ってるかたは思い出すだろうか、「情熱のやきうどん」を読んだときの衝撃をわたしは忘れられない。

すごい感動というか、これが小説なのか、というなんだかわくわくするようなおかしさに襲われ、以来時を経たいまも、たまに手に取らずはいられなくなってしまった。

いまでも、『蚊』を読むとあの頃の5月のまぶしい日差し、旅先で大学の先輩と訪れた有田焼で有名な窯どころの畦道などを思い起こす。

昨日読んだのは短編集『土星をみる人』の「うねり」だった。

何年かおきに読んでいるがけっこう筋を忘れてしまっていて、あれっこんな話だったっけ、と毎回驚く。

椎名誠は初期のころは、「偽」小説と呼ばれるSFとリアリズムが合体したような奇妙でぶっ飛んだ作品をよくかいていた。

しかし、その後だんだん作風がリアリズムに近くなってくる。それでもどこかその現実感がゆらいで急にSFになりそうな危うさが感じられる。

土星をみる人』に収められたあたりの作品はその時期のもので、SFっぽさはなりを潜めているが、謎めいていてそれがよかった。

しかしなぜ結末や落ちを読み終わればけろりと忘れてしまい、読むたびにある意味なんども楽しめるのだろうか。

読んですぐはともかく、忘れっぽいわたしが原因だろうか。

たぶんなにか巧妙な仕掛けがあって、なにかの細菌か薬みたいに、ある一定期間をすぎたら消え去るように話の筋を忘れさせてしまうのかもしれない。

それとも、あるいて道をたどらなければ、たどりつけない山のなかの場所みたいに、最初から読んでたどらなければ、そこにいけないのかもしれない。筋だけ覚えることは無意味で不可能なのだ。

たぶんそうやって書かれた物語のたどりつく結末は、下山することでそれを読者に忘れさせ、そうやって読者を何度も誘い、同じ感動を繰り返し味あわせるのだろう。

「うねり」はカップルが夜の海でボートに乗り、潮に流され遭難しかける話である。最後にどんでん返しがある。それをすっかり忘れていた。

「うねり」には月が印象的にでてくる。中原中也の詩を思わせ、詩的なイメージが素晴らしいことに今回気づいた。

コロナでステイホームの連休にぜひ手にとってみられてはどうだろうか。

一種のアレルギーみたいに訪れる椎名誠現象は、まるで、そう、○○みたいですね。

2021年のGW

2021年のゴールデン・ウィークがひぶたを切って落とされた。しかし、依然コロナ禍の下の連休で華々しさはない。

しかもひどい雨の一日で開けた。緊急事態宣言にわが府は名乗りをあげているので、よけいである。が、車や人出はかなり少な目ではあるが、あのまるでゴーストタウンだった去年に比べたら、ずいぶん多い。

しかし、たぶん夜はひどく人気がないだろう。なにせ、チェックのため見回りがあるらしい。

社会人になって以来、GWというのは業種的に仕事であった。いまも、休日専門の派遣先にバイトで入ったため、さらに忙しい。盆正月のない夜勤バイトも、時短になりそうだが休みはない。毎年のことだから、慣れ慣れだ。

世間も普通じゃないので、かえって寂しさもまぎれるかといえば、なんとなくそうでもなく、病院に母の見舞に日参していた昔が懐かしい。

昨年はとくに、まだ母の居なくなり間もない頃だった。バイトはしていたが、夜の仕事ははじめての緊急事態がロックダウンに近かったので、休みになり、夜が長かった。母の祭壇の横でひたすらストーブをつけ、近所の庭仕事の請け負いでたくさんいただいた金柑を炊いていた。

今年は、その仕事が時期的に金柑に間に合わず、今週からになりそれができない。聞くと金柑の実がなぜか不作だったとのこと。

母の入院がGWに合わせて、介護のサービスが休みになる部分(全部ではない)があり、毎年この時期家で一人になっていた。病院に難病患者を家族の支援で預かるサービスを受けていた。それで昼間、病院に見舞に行き、夜は家でたいてい過ごす日が多かった。仕事があったので遊びにはいけない。

(見舞いはいまはご法度が続き、ご家族の方非常な苦難かと思われる。この件は、どうしたらいいのか、ついむかしのことを考えれば、なんと可哀想かと思う。)

夜勤が続くと、昼間眠くなり、休みでも夜目が覚めてしまう。

いまも、夜中に目が覚め眠れなくなり、近所の喫茶店のマスターがくれた唐揚げをトースターで温め、食べた。焼酎が瓶にすこし残ってるのを湯割にして飲んだ。

それでいま、アナログレコードをかけて聴いている。カーペンターズのアルバム、ナウアンドゼン。これは去年、中古でBOOK・OFFワゴンで見つけた。

なぜか、GWによく中古レコードを聴いている気がする。母が居たときも、入院中のときが多く、やりたいことができたからだろう。レコードを聴くだけとは寂しい限りだが、もしかすると、それは、一人になったときのトレーニングだったような気もする。

そういえば、雨は夜にやんだが、外にでたら、もうカエルが鳴き始めていた。