つながらない時間

昨日はなんだか5月とは思えないくらい寒い日であった。朝方、二日間降り続いた雨で、河原土手を満タンにしながら、轟音をあげて流れる川をみながら帰った。

まだ暗かった。街灯の灯りからみえた水の勢いはすごかったが、表面はなめらかで、いつもは高い段差がある場所もほぼ水平になっていた。

昨日はコロナが5類になった日で、夜のテレビニュースで町の人にその様子をインタビューしていた。サービス業である百貨店はマスクの着用はクルーの判断に委ねるという店、まだ続ける店とさまざま。

夜の会食は、いままで4人以下だったがその制限はなくなった。

飲食店はアクリルボードを撤去していた。メーカーは材料として別の製品に再利用するとか。

もしコロナに感染した場合も、会社に報告義務は個人に委ねられる。

「ゆっくり元の生活にもどっていきたい」とインタビューに若い男性が答えていた。

コメンテーターが、五類解除になったことで、いままで制限のあった直接対面の機会が、リモートだった学校、会社などに増え、それがまた「五月病」などのメンタル症状を増やす恐れがある、みたいなことを言っていた。

それを考えると、この三年間は、やはり特殊な、場合によりさまざまな程度はあれ、「会わない時間」がかなりはびこった期間だったのだとあらためて認識する。

だが、それは決して「つながらない時間」ではなかった。インターネットのおかげで、オンラインのアプリを使い本格的なミーティングや授業などの機会が増えたから。

そういう意味では、直接対面の制限がなかった頃より「つながらない時間」そのものは減ったのかもしれず、逆に、今回の解除で、「つながる」ことから解放されることもあるかもしれない。

今日は、ゴールデンWが明けてまだ二日目のせいか、駅には通学の学生があふれ、送迎バスを待つ列が長蛇になっていた。これも解除の影響なのかもしれない。

電車の車内はまだほとんどの人がマスクをしている。しばらくは様子見で続きそうだ。

夜勤について

わたしは現在夜勤の仕事を二ヶ所で続けている。

二つはそれぞれまったく畑違いの業種で、仕事内容もかなり異なる。そのため、慣れるまでは、かなり大変であったが、それは二つやっているから、というより、なんでも最初仕事に慣れるまでは、どんな仕事であれ大変ということだ。

ただ、ひとつは起きっぱなしで夜明けまで、まったく寝ずに勤務、もうひとつは仮眠できるが9時の交代までとすこし条件も違う。

大分、違いはあるが、どうも夜勤明けの日に、睡眠不足のまま、一日過ごすのだが、そのときの過ごし方が難しく、いまだに慣れない。

わたしは人一倍睡眠をとらないと身体の調子がでないタイプなのだ。それは占いに詳しい人に、わたしの生年月日、血液型などを伝えてみてもらった結果でもある。

よくむかしは寝ないで別の昼間の仕事をしたり、遊びに行ったりしたこともあったが、体力の消耗が激しく、真剣に考えないといけない。

逆に、長時間寝てしまうと、頭がぼやけてしまう。どちらにせよ、注意が必要だ。

と考えていたところ、先日あの大谷選手がテレビに出ていて、高校時代のトレーニングの「メニュー」などを、取材して紹介する番組を見ていたら、彼は「睡眠は大切で、意識してとるようにしています。昼寝も時間があればしています」といっていて、驚き、おおいに力を得たのであった。

やはり睡眠をとらなければ 、ああした偉業も達成できないのだ。

もう散ってしまったが、大分前3月末に撮った桜の写真です↓

スター・ウォーズ二大女優の映画1 『水曜日のエミリア』

先日、深夜番組で時々見ていた『関ジャム 完全燃SHOW』の年末放送で、新年に2022年を振り返ってベスト10を選ぶ特集をやる、と言っていたので、今年初の同番組、先月22日に放映されたのを録画してみた。

新人アーチストを発掘する趣旨みたいではあるのだが、みごとに知らないアーチスト知らない楽曲ばかりであった。

作詞家、プロデューサー、アーチストの三人が2022年発表された10曲を選んでいた。かぶっている楽曲も少ないがあった。

そのひとつが『エジソン』というナンバーで、不思議な感じの面白い歌だったが、歌ってるのは「水曜日のカンパネラ」という変わった名前のバンドだった。

出演者は「水カン」と略して呼んでいた。たぶんかなりキャリアもあるアーチストっぽかった。

それで思い出したのは音楽でなく、映画のことである。

むかし、母の介護を家ではじめた頃、夜勤がメインだったので、朝、母をディサービスに送り出してから時々家で借りてきたDVDを見はじめたことがあった。

前も一度似たことをここに書いたが、それは母がなくなったあと、まったく映画を見る気にならなくなった。しばらく休んでいたが、知人に頼まれてDVDを探すことになって、前に一度見た映画を見たくなり借りたということだった。

だが、それ以前に、レンタルDVDを借りはじめたころ見た映画のなかに『水曜日のエミリア』というタイトルのアメリカ映画があった。

これに出ていたのは、あのスター・ウォーズ女優のナタリー・ポートマンだった。

だが実は、この『水曜日のエミリア』を思い出したのはこれがはじめてではない。

たぶん今年にはいって見かけなくなったが、深夜にときたまディオールのコマーシャルが流れていた。それはジャニス・ジョプリンの有名な曲が流れ、女優っぽい女性が車を運転しその歌を一緒に歌うみたいなものであった。

たしかそのコマーシャルの女優はナタリー・ポートマンだった。それに気づいたとき彼女が出ていたその映画を思い出した。

映画は、リーガルドラマと言おうか、主人公エミリア(ナタリーが幼い赤子を事故(育児中に起こった突然死)で失い、その原因が自分の睡眠中の無意識の圧迫ではなかったかと、法廷で判断しようとするドラマだった。

「水曜日の」とタイトルにあるのは、映画のなかで月一度水曜にそうした子供さんを亡くした親たちや親族が集まって歩くイベントが行われていて、そのシーンが何度か出てくる。

たぶん現実にアメリカでそういう「水曜ウォーク」が行われているのだろう。

(いまネットで念のため調べたところ、ドラマのメインはナタリー演じるエミリアと新しく連れ添った夫の連れ子との複雑な関係がテーマのようだった。すっかりではないがかなり内容を忘れてました、、。)

スター・ウォーズではナタリーの役はアナキン・スカイウォーカーつまりダース・ベイダーの愛する妻であった。

そしてナタリーは、アナキンとの双子、ルークとレイアを産むが直後亡くなってしまう。この悲劇には暗黒面の誘惑に逆らえなかったアナキンが原因のところがあり、彼はそれがもとでダース・ベイダーと生まれ変わるのである。

考えてみれば、スター・ウォーズとは真逆の立場を、この映画で彼女は演じているわけか、、。

もう一度借りてみて、また感想を書きますね。

ちなみに、ナタリーはスター・ウォーズ後の主演作として『ブラックスワン』という超弩級映画があって、この方が有名かも。

さてもう一人のスター・ウォーズ女優は、あのアンジェリーナ・ジョリーである。

実はこの人の出てるかなり前の映画を最近見た。それは次回に。

新年連勤

あけまして おめでとうございます

とあいさつしていても、気分はあまり普通の日と変わらない。

ただ、町のなかも心なしか、静けさをまだ保っているような感じがする。

年末27日からずっと休みがない当方としては、なんだか、まだ忙しない。

周りも似たように思えるが、年賀状を見ると新年かなとあらためて思い直す。(はやく返事を書かなければならない。)

休みはないものの、年末年始テレビやあとビデオの録りだめたものを、空き時間にみていた。

なかでも、むかしの映画をお正月深夜にやっていたのを録画して、翌日見たら、『ターミネーター3』だったが、何度か見た回であった。

見てないと勘違いして録画したのだ。

わたしはまだこれ以降のシリーズを見ていない。

また1と2もあまり記憶にない。(たぶんテレビでかなり前に一度は見ているはずだが。)

だが3を見るのは三回目か四回目である。なぜかかぶって同じものばかり見てしまっている。

こういうことは、意外と少なくない。おそらくこれからも、3以外を、レンタルで意識的に借りて来ない限り、目にする確率は低いだろう。

ところが、新年に、いちばん近いレンタル屋さんTSUTAYAが閉店するという貼り紙を目にした。

大きい店だったがやはり急激に利用客が減っているらしい。

TSUTAYAには新刊の本やCDも置かれていたのに、、。

もはやビデオ屋さんに出向くことも邪魔くさいのだろうか?ネットの番組は相当アイテムもあり安いらしいから当然なのだろう。

しかしどんどんリアルの店舗が減っていって、いったい、われわれの生活ば、この先どうなるのだろう。

年明け早々急速に変化している現実を思い知らされる。

赤瀬川源平「他力は棚からぼたもち」~8.25ブッダカフェ

毎月25日に行われている徳正寺ブッダカフェにて、先月うかがうと、赤瀬川源平さんの研究家の方が来られていた。専門は比較文化かなにかを大学で教えておられるとのこと。

そこで、赤瀬川さんが生前されていたインタビュー記事で「他力」について話されていた記事のコピーを持参され、話題にされた。

「他力」は真宗でいう他力本願の他力なのだが、、つまり真宗の教義の核心的な部分である。

その他力を、赤瀬川さんがそのインタビューにて「他力は“棚からぼたもち”みたいなものだ」といったことを言われていたらしい。

そのときは、なんとも思わなかったのだが、なにか妙に印象深くあとから考えたら面白いというか、現代美術のアーチストらしい鋭い洞察ではないかと、いまになって感じた。

それは、他力と自力の表裏一体の関係をズバッと言い表しているかもしれない。

つまりまったくそれを願ってないときに、思いがけない場所で、悟りが落ちてくるみたいな、、。

なんとなく禅問答的だし、となると自力ともいえる。

でもこれって、まるで曲ができるときと似てるっていうか、そっくりだなあ~と思い当たる。

まるでリラックスしてなにか鼻唄歌うとき、歌を思い付いたり。作ろうとしても作れないんですね~。

それって他力本願とも、また考えると、常に歌を作ろうと意識してるという意味では自力とも言えて。

それを赤瀬川さんは言ったのではないだろうか。

瓢箪から駒」という諺もあるが、、。

やはりこの場合、棚からぼたもち、がぴったりくる。

いたっ!って頭にあたるみたいなところが。

アン・ハザウェイの映画 1「ブルックリンの恋人たち」

突然だが更新する。まったく気まぐれに、、。

わたしがかつてDVDをレンタル屋さんで借りてみていたのは、かなり以前のことである。と言っても昔というほどじゃなく、また度々ではなかった。そのなかにアン・ハザウェイが主演しかつ監督もしている映画があった。

その映画のことは以前書いたことがあるのだが、。

わたしがよく行くビデオ屋さんには「音楽(の)映画」ジャンルのコーナーがあって、その棚にこの映画があった。

路上ミュージシャンを弟に持つ主人公アン・ハザウェイが、事故で倒れたその弟を看病していて、その弟がリスペクトしていたあるミュージシャンと知り合う。

その弟が、そのミュージシャンの助けにより奇跡的に意識を取り戻すまでの日々を描いた映画だった。

英語オリジナルタイトルはSong One 邦題「ブルックリンの恋人たち」(なぜ?みたいな邦題だ)

アン・ハザウェイは女優としてだけでなくこの映画の製作指揮もしているようなことが、ビデオの案内に書いてあった。

なかなかいい映画だったし、そのミュージシャン役の俳優は本当のシンガーソングライターでいい歌を歌っていた。

いま思い出すと、なんとなく最後になったアルバム「ダブル・ファンタジー」発表後のジョン・レノンがまだ生きていて路上をやるとしたらこんな歌を歌うんじゃないかな、と思えるような歌だった。

ちなみにアン・ハザウェイのお父さんは歌手のダニー・ハザウェイ

今日は朝、夜勤明けでスーパーで惣菜を買って車のなかで食べた。

雲が多く比較的涼しい。陽が射してきたらめちゃくちゃ暑くなったが、、。

家に帰ってソファで座りながら寝てしまった。昼以降はうちのなかは暑かったがクーラーはつけなくても過ごせた。

15時くらいから暑くなってきたが、共同作業で担当になった草刈にいった。汗だくになった。

その後いつもいくKRTカフェで食事する。オムライスを大盛りで食べた。お腹いっぱいになった。

家にいったん帰りシャワーをあびまた夜勤にむかう。

また雲が出てきた。そらはまだらのまま夕暮れ、ところどころ昔の風景画みたいにスペクタクルな色あいできれいだった。

旅先のそらを見ている気になった。

思い付いたことやる実験室@メリーゴーランド京都店

25日からはじまった標記展のギャラリートークに誘われ見に行った。

(会期 6/25~7/6

www.mgr-kyoto2007.com

)

 

かなり面白く、なにか愉快なものに久しぶりに出会えた感じがまだジワジワしている。

 

山下陽光さんの作品(なんと花や動物の無名?画家の絵と、その絵の柄をデザインし刺繍した服とをセットしたの)を販売するほか、ギャラリートークでは所蔵する古本やアイテムを並べ、独特の感覚でプレゼンしてくれ、それがなにか病み付きになるほど可笑しいのだった。

 

たとえば「なんとか紳士録」というタイトルの電話帳みたいな本を取り上げ、「こんな個人情報満載の本がむかしあってね。もう一冊おんなじ本買ったら厚さが違うでしょ」と笑いになったり。

 

たしかにそこらに歩いていそうな普通の人たちのプロフィールが人名辞典みたいに書かれた本だった。そのなかに吉野家でバイトしているなんとか言う人が掲載されていて、山下氏いわく、いまの吉野家の社長だとか。

 

あとむかしの本で写真集なのだが、ポラロイドカメラで撮った写真をページ一面にきちっとならべらているのを「これはたぶんインスタのはしりではないでしょうか」と言ったりしていて笑わせられた。

 

たしかにむかしのアナログな本のなかには、意図されずに、いまのデジタルを先駆的に表現していたものがまだまだあるかもしれない。

 

たとえば山下氏が見せてくれた小沢昭一がある新聞に連載していたコラムを切り抜いて集めたものがあった。古本屋で3000円で売られていたらしい。

山下氏は、「これはなんだろう!?って考えたらあれなんですね」といって横長の妙に細長いその切り抜きの束(きれいにビニールで包装され、一枚目は光っていた)をたてにして持ちあげて

スマホだったんですね。こうやってスクロールする」

といってみんなを笑わせていた。

 

なにがこんなに面白いのか、よくわからない。そうやって、発見し発掘する姿勢が面白いのかもしれない。

それがむかし当たり前に真面目に売られているのを、いまのデジタル全盛の時代からみなおしたら、まったく違う意味が生じたりしてしまうのを山下氏は面白がって話す。

 

でもそれもあの場でリアルに見れたからかもしれない。それがここ2年以上滞っていたのだ。あらためてライブのはなしを聴くよさをわたしはかみしめていた。

 

ちなみに、あの吉野家の社長が一人のアルバイトだったことを載せていた古い人名録のことを山下氏は「あの時代のFacebookだ」と言っていた。

 

考えてみる。

 

究極的に人の求めているものはいまも昔もあまり変わってないのかもしれない。

 

技術だけはどんどん変わり、古い技術は忘れられていくのだ。

 

でもちゃんと思い出して語ってくれる人も必要だし貴重なのだ。

 

短かったが愉快で貴重な時間だった。

 

(写真はメリーゴーランドからT正寺に移動し行われたイベント看板。わたしはそこで他のかたと別れたが、寺まで一緒に歩いた。)