御所にいる何者か

京都七不思議スポットというのがハイヒールが深夜やっている番組にあるが、(実は今私が深夜なのにこのブログを携帯で綴っている場所である)御所という場所は私にとり、不思議なスポットである。
普通こんな暗い場所にいたら、怖い(たとえば犯罪的な怖さと幽霊的な怖さ両方)はずだが、周りが市街地で夜中も車の音がするせいか、まったく怖くない。
時々夜中なのに犬の散歩をぶらぶらしていたり、飲み屋から歩いて帰るらしい学生とすれ違ったりする。
彼らもあまり街灯がなくお互いの顔形もうすぼんやりとしてわからないのだが、怖がっている様子はない。
ただ、もし万が一このブログを読んで「そうか〜御所はそんなに安心なんだ〜」と思って無防備に夜中女性が行ったりすると困るので、よいこは真似しないでほしいが〜
ただそれだけなら、なにも七不思議に入れるほどでもない。
私は子供の時から夏はセミ取り、学生のときは通学路やデートの時もあったが、もっぱら大学受験浪人中、この御所を読書や時々勉強の場として活用していた…つまり予備校をサボりここで一日の大半を過ごした。
そのときよく私は、夜寝るとき金縛りにあっていた。
今思うとあれは昼間ここにいすぎたせいかと思ったりする。
そしてつい昨日、御所の中立売門の近くに有料駐車場があり、そこに車を停めた。あまりそういうことはしないが、一年に何回かそういう日がある。
御所の駐車場は京都の御所以外の場所でも観光に来られる方はぜひ利用していただきたい。
安いのだ。
街中なのに4、5時間くらいなら500円で停めれる。
さて昨夜はかなりひさしぶりであったが、帰りは遅くなり、車をとりに行くときも暗く闇の中なのである。
こんなに暗い場所が、マクド京都新聞社があるがんがん明るい丸太町通りのほんの目の先にあるのである。
ただやはりそこを通ったからか、家に帰って寝るとき、妙なものが目に入り読み出すことになった。
紀貫之により記された新古今和歌集の序について山崎正和という方が書いた文章、なにをかくそう高校の時の教科書が捨ててなく部屋の片隅に出ていて手に取ったのだ。
私にはかなり本やものをむやみにとっておく悪い癖があり、本棚にそんな読みもしないものをおいている。
しかしその日は掃除かなにかするため本棚から移動し、ふだん手にすることもないそんな本がなぜか目につく位置にあったのだ。
なぜそのようなものを読み出したのかわからなかったが、今やはっきりとわかる。
御所のあやしい気が呼び起こしたものに違いない。
おおこわ〜。
といいつつ懲りずにこんな時間にこんな場所にいてしょうもないことを書いているのである。
さっきから人が砂利を踏んで歩く音はするが、ちっとも姿は見えない。
なぜか私をさけて、違う道を歩いているみたいだ。
夜中にこんな場所に来る人はお互い一人が好きなのだろう。