「恩師」との再会〜ラジオ英語最大の講師杉田敏先生

今日、買い物へ行った母から迎えに来てくれと電話があり、車でイズミヤ高野店に向かう。
しかしいてくれといった場所におらず、方々探す。
どうやら待ち合わせ場所を母は間違えたらしい。前もそんなことがあり、待ちくたびれ、ひとりでバスに乗り帰ってしまったことがあった。去年脳梗塞を起こしてから、どうもうまく待ち合わせができなくなっている。
妙に勘は、なんとなく発達してるようなので不思議な行動をする。今日も待ち合わせ場所をよく聞いてなかったらしく、車の出入りするショッピングセンターの入り口にいて、私を見つけようとしたらしい。
まるで子供になっていてなんとも情けなくもいたいたしい。ある意味正しいのかもしれないが。
探しながらまた帰ったのかなと思い諦めていた。
駐車場に車をおいたので、何か買ってレシートをもらう必要があった。でないと駐車料金がいる。
家を出る直前、NHKのスタジオパーク芥川賞作家の川上見映子が出ていた。かなり面白いキャラクターで話題の本を読んでみたくイズミヤの中の本屋へ行った。
財布を持って来なかったので車に置いていた非常用の千円しかないがそもそもあまり使いたくはない。
昔はよく来たものだったが、近くにカナート洛北(これもイズミヤ系)ができてからは、閑古鳥が泣いている。客は私と買い物途中の女性の二人だった。
前置きがやけに長くなったが、川上見映子の本は容易に見つからず、母も気になるので、急いで他のなにか手軽な本を探した。
そこでチョコレート色のラジオ英語のテキストが目についた。
昔、よく聴いていた。大学を留年しサークルの後輩が就職活動でこのNHKのラジオ英会話を勉強していると聞いて、私も聴きはじめたのがきっかけだ。
当時は、日本が円高景気に湧いていた。バブル前夜で海外旅行が急激に増え、銀行と民営化したJR、旅行会社などが学生の人気企業だった。
バイリンガルがもてはやされ、テレビには外人タレントが急激に増え、日本企業はゴッホの絵画やアメリカの不動産だけでなく、本場ベースボールの球団まで買いまくっていた。
かたや、アメリカはブラックマンデーと呼ばれる株価の暴落、日本製自動車や電気製品の輸入で自国メーカーが急激に衰え、ジャパンバッシングという日本叩きが始まった。
いまの中国や韓国と日本の関係と似ている。
そんな状況で英語教育の分野も様々な英会話学校が花盛りで、ベルリッツ、リンガフォン、ECC、イーオンなどこの頃隆盛を極めた。
そこでこのラジオで英語を勉強するという、昔ながらのスタイルにも画期的な発展があった。時代の要請だったからだろう。
この80年代後半にたしか1987年と思うがはじまったNHKのラジオ英語番組に「やさしいビジネス英語」がある。
実際はまったく「やさしく」はなかったが…かえってそれがリスナーにとってはよかったのだ。
講師は杉田敏先生、現役のビジネスマンで教育畑の人ではなかった。しかしこの人の実力たるや素晴らしいもので、なかでもビンエットと言っていたが、英会話の脚本が、非常にビビッドに海外のビジネス現場を伝えていて毎回感心した。
また、初代助手の外人講師ジェレミー・ウィプルさんがよかった。この人は日本語が使えて、杉田先生のいいたりなかったことをたどたどしくはあるが、親切な態度で言い添えてくれた。またどことなくユーモアが感じられた。イギリス系の方だったのかもしれない。
この「ビジネス英語」のテキストだが90年代中頃までは本屋で見掛けたが、ここ数年見掛けなくなった。
ところが今日たまたまなにげなくひさしぶりに買ったテキストを見るとなんと杉田敏先生の名前がある!
おぉ!と思い中身を確かめるとたしかに往年の頃を思い出させる充実ぶりだった。
正直言って、他のラジオ英語の番組は失礼ながら学校英語の域を出ないし、台本がありきたりで(工夫はかんじるのだが)面白くない。
杉田先生の作る(たぶん先生本人が作られているからだろうが)テキストの会話は生きている感じがする。
昔は週6日土曜まであったビジネス英語だがいまは週3日、水木金のみのようだ。
テキストも薄っぺらい。
しかしこの偶然の再会を祝し、私はあらためてこの番組を聴いていこうと思った。

新旧のテキスト写真、下が昔のもの。↓