ジョギング〜地下鉄で音の不意打ちにあう〜バレエダンサーの妙薬:モーツァルト

久々の更新です。こんにちは。

昨日8日は、ジョギングで約5Kmくらい走った。宝ヶ池まで走り、1周半して帰ってくるというコース。宝ヶ池は1周がちょうど1.5kmあり、それを15分掛けて走るというスローさ。100M1分という超スローなスピードで。そのままフルマラソンを走ると421.195分、つまりちょうど7時間くらいかかる。そんな大会があるのだろうか。(もちろんまだ出る気はない)しかし、7時間くらいなら、走れるかもしれない、、、。

宝ヶ池の夕方の風景、「客船」みたいな建物は国立国際会議場(前も似たような写真載せているな、、、)

さて、その前日所用で久しぶりに街(四条烏丸界隈)に出た。地下鉄には5日にもハローワークに行くために乗ったが、四条まででるのは、久しぶりだ。

時折、移動の場面で、頭に音楽が鳴ることがある。自分で意識的に思い浮かべるときもあるが、なんとなくその音が耳に(もちろん聴いているわけではないので、頭になのだが)ついて離れなくなる。なんとなくひものようにちらっとでてきたメロディというか、聴き覚えている部分を、つまんで引っ張っていると、つられて意識的に覚えていたかのように、続きのメロディがするするとひもにつられて出てくる。

その感覚がなんともいえず楽しい。

こうした現象が、いつからか起こる。そして、それは、本当に音楽を聴いているときよりも、深く音楽を聴いているような感じがする。昔から、ではないが、しばらく前から、とくにひとりで仕事をしているときに起こり、しばらく仕事を続けながらも、その余韻に浸ったりしていることもあった。

外からは、イヤホンをしているわけではないので、全くわからないだろうが。

逆に、バスや電車の中でイヤホンを耳に差している人は多いが、この種の「音の不意打ち」に遭うためには、あまり四六時中音楽を聴いていたりはしないほうがいいのだろう。

話がそれたが、地下鉄でなぜか、よく聴いていたCDかなにかの音楽が思い浮かび、[四条」で降りるまで、「聴いて」いた。それだけなのだが。

そして、それは、考えていくと、私にとって「大事な音楽」であるらしい、ということが確認できた。
そういう、テーマ曲がいくつか、わたしにはあるような気がする。

先日、しかし意識的に、ある特定の音楽を聴いているとテレビで語っている人もいた。バレエか何かのダンサーでステージの直前に、何も考えず、モーツァルトイ長調のピアノ協奏曲第2楽章、あのチャ〜ラララ、ララララー(音符が、、、笑)という有名なアダージョのテーマだが、を常に聴くことにしているらしい。

じつは、わたしも、先日面接を受ける前に、この話を思い出し、会場付近で同じ曲を聴くようにした。たしかに、気持ちをカラッポにしつつ、自分の本質みたいなものを表に浮かび上がらせる、イメージ療法のような効果があるように感じた。「無心」になることが、実力を出す一番の方法だからだろう。

くしくも、モーツァルトの音楽には、底知れぬ得体の知れない効果がありそうだ。地下鉄で思い出した曲も、この曲ではないが、モーツァルトのある曲のテーマだった。

この「音の不意打ち」は、自分の無意識から発せられる信号だと思う。脳は、普段聴いている音楽の、わたしたちが意識しては聴いてない音も、何らかの関連付けで記憶しているのではないか。なぜなら、こうした現象は意識的には起こらず、夢を見るときに似ているからだ。

そして、おそらく音楽を作曲している音楽家も、何らかの感情づけをそこにしているため、私たちの脳がその感情と交感したときに、そういうことが起こるのではないか。

大げさに言うと白昼夢とでも呼べる、その瞬間をわたしはひそかに待っている。波長というか、場所?もあるのか、そういうのが合えば、聴こえてくる、ような気がする。

そういうこと、ないですか?