木陰のありがたさ〜オルガンの音〜谷川俊太郎「52のソネット」

用事があり家を出て一瞬で暑さに負けそうになる。
暑さが肌にいたい。
いつから太陽はこんなにギラギラ容赦なく照りつけるようになったのか。
オフィスに行かずになり、よけい暑さを感じるようになったのだが、今年はやはり異常らしい。
雨が降らない。川の水も干上がっている、だろう、と思っていたがいつもより少な目だが川の水は思いの外澄んで、魚が気持ち良さそうに泳いでいるのが見えた。
いや〜魚になりたいナ。
トリスを飲んで、みたいな…(ああ、開高さん!)
バスがあいにくなく国際会館まで歩く。
たしかに照り返しのあるアスファルトは靴のゴムが焼けてぐにゃぐにゃになるのを感じる。
しかしながら道すがらに残る古い神社の杜の陰は存外涼しい。
木陰というのはありがたいものだ。
国際会館の横に昔の遊歩道がある。西武がホテルを建てた部分は絶ちきられてしまったが、宝ヶ池に至る自然風の土の道である。
この道の脇は、岩倉川が流れ、国際会館の庭に至り、庭の中の水となって、宝ヶ池に注いでいる。
川の両脇の東が国際会館の国旗が並ぶポールがある道路で西がこの木陰の小径になっている。
ここの径の樹は大きく影が大きい。
そして風が通り涼しい。
樹がなかったらこの暑さはもはや耐えられない地獄と地球を化していただろう。
この径の入り口西側の住宅地に教会があり、礼拝があるのか、練習か、クリスマスの時のような讃美歌をオルガンで弾いている。
さっきからずっと…
なんとなく懐かしい。
わたしは教会の日曜学校さえ行ってなかった(親戚の子について一度だけ行ったが)が、昔はわりと教会が幼児を保育していて、身近に教会があった気がする。
寺院よりは子供に近かった。
いまでもバッハなどを聴くと子供の頃を思い出す。
樹は、ゆたかだと言ったのは谷川俊太郎だ。
「空の青さを見つめていると/わたしに帰るところがあるように感じる/だが空を通ってきた明るさは/もはや帰って行きはしない。」
うろ覚えだが、有名な詩である。
この詩のなかに、
「陽は豪奢に捨てている/われわれはそれを拾うのにいそがしい/われわれはいやしい生まれなので/樹のようにゆたかに休むことがない」
という風なのがあった。(正確ではありません)
木陰に入りその恩恵を受けると、この言葉がよくわかる。
それとともに、この約50年前に発表された谷川俊太郎の「52のソネット」の詩集が、意外と讃美歌に近い響きを持っているのに、いま、気付いた。
中原中也とベルレーヌがよく使ったこの「ソネット」という詩の形式(器)は、どうもキリスト教と通じるヨーロッパの文明と切っても切れない関係にありそうだ。