星空〜ひさしぶりにみるような光

今日は仕事だった。帰りにほぼ30分夜道を歩く。そういう気分だった。昨日から風が冷たく、暦とは裏腹の厳しい寒さが居座っている。日曜の夜なので、人が極端に少ない。
ただ、空は見事な星空だった。久しぶりに空を見上げて歩いた。
オリオン座とうみへび座?、白鳥座など(だと思う)が見えた。特にオリオンは、西の空に巨大に見えた。
今の時期、自然に対する信頼の土台が飛んでしまった不安がいたるところにある。
復旧への遠い道のり、いまだ救援物資を待つ避難所の方々、家族を失ったたくさんの方。
今日は、流された家の中にあった写真を被災者の方々が、懸命に探しているニュースがテレビであった。自治体側で、壊れた自動車と全壊の家屋等はもう撤去が始まった。しかし、写真については、重要な個人所蔵品として、廃棄が原則禁じられているとか。
ただ、写真を優先すると、撤去作業が進まないというジレンマに陥っている・・・。
いろんな問題が発生している。
星空に対する無垢な信頼をどうやって取り戻すのか、時間がかかりそうだ。
しかしながら、それらは光をわれわれに放ってはいる。昔と同じ光を。
わたしがよく拝見している信頼するブログは、あまり震災のことを取り上げていない。ほとんどといっていい。
なぜか。
その取り上げてないことにこそ、それは語られている。
村上春樹の初期の小説が、あんなにも愛され読まれたのは、今になるとよくわかる気がするが、似ている。
彼は、学生運動のことと三島由紀夫のことは(面と向かってはという意味、微妙に背中で見るような感じでところどころに書かれているが)書かなかった。
たぶんそれらが当時の若者の核心だったからだ。そして、書かれないことによって、今もそれは彼の小説の中に、あざやかにその「不在」を通し、存在しているように思う。(最近『1Q84』で面と向かって書かれたが)
震災のことは、わたしもマスコミ以下のことしかいまは書くことはできない。また、一年後にも書きつづけているかどうか、なさけないが心もとない。
信頼できるブログは、一年後にも十年後にも書くようなことを、たった今も書いている。
ただ、ツィッターやブログで被災地の支援を真剣にされている方々は、また別である。