テレビのことば新聞のことば〜暴虐とうそのはざまで

一昨日のブログで触れた、「ことばの違和感」についてのことが、頭から離れない。
たぶんこれは本当に大事な問題だと、どこかでわかっているのに正体がつかめないし、おそらくかなりの量の文章が、それに関して考えるには必要だろう。
ひとつ簡単にそれについて思い当たることをのべたい。
それはその集会でも話題になったことでもある。
マスコミは肝心なことに対しては記者が書きたいことを書けないところではないか、もはやそうなっているのではないか、ということだ。
それは二重の意味合いがあって、マスコミに政府やいろんなところから圧力があるからにすぎないし、あとひとつには放射能や現今に起こっている東北地震以後の政府のお粗末な対応について、本当のことを言ってしまうと記事にさえならないからだろう。
これはもちろん日本だけの現象ではないし今に始まったことでもない。
チェルノブイリ原発事故の際、ゴルバチョフは自身の手記のなかにあの事故をソビエトの共産政権の「炉心溶解」と見ていた、という。それは佐藤優氏が中央公論6月号で「菅政権のチェルノブイリ化」という論文を載せていて、紹介していた。
また最近今から約50年も前に開高健が発表した「パニック」という小説がある。
これはネズミの大繁殖を事前に予知した県の職員が、対策書をなんども上申しながら、役所の政治力学のため有効な手だてをとることを妨害され、みすみすネズミの繁殖を許し、町全体がパニックに陥るという物語だ。
開高健「パニック・裸の王様」(新潮文庫ほか) - うたた寝読書日記ブログに掲載されています。
これは原発事故について数々の警告書が地震前に出版されたり、福島の原発プラントを設計施工したエンジニアの苦悩の雑誌記事などを知るに至り、ネズミの繁殖の被害とは比較にならないほど福島はひどいが、組織と人間の保身と責任回避の悪の連鎖が続く状況に、向かいあわされた思いがする。
そんなことを大々的に書こうものならまさにパニックが起こり政府そのものが「炉心溶解」し、国際的にも信用をなくし、明治時代ではないが、太平洋艦隊は東京湾に居座るかもしれない(言い過ぎかもしれないが…)。

書きたいことが書けなくてもたとえばそこの真実を読みといてくれる人も中にはいる。
たとえば内閣官房参与平田オリザ氏が「アメリカの強い要請があり汚染水を海に放出した」と韓国で講演のとき言ったあと、「事実誤認だった」とすぐに撤回し謝罪された。
これをだいたいのマスコミは「菅政権の参与は失言が多い」といった菅攻撃の材料に使うことで、オリザ発言が本当かどうかという肝心のテーマから目をそらさせていた。
内田樹先生は、ブログで、おそらく平田さんは政府の国家機密の扱いをまだマスターされていないので、つい本当のことを言ってしまったのだろう、と書かれていた。
もしそうなら、政府が知らせたくない真実をたくさん知らせずに、かつ官僚ぐるみで記者にも圧力をかけている疑いはある。
そして、もうひとつのこと、政府がなによりいちばん恐れているのはアメリカの機嫌ということ。

こんな報道はテレビでも一緒だとすると、マスコミを通じてしか地震原発のことを知りようがないわれわれが、しらずしらず抑圧されていくのは当然といえる。
なんという国、言論はいまもあきらかに「統制」されているし、それがわからないほどたくみにされているから、ダメージは大きい。
しかもこれは地震前からだったはずで、もしかするとわたしの場合と多くの方も同様と類推するが、地震が気付かせてくれたのだ。
いまとなっては石原知事の「天罰」も、いわれのないことではない。
行間やニュアンスを読み取り、言外の真実をつかまねばならない。