開高健「パニック・裸の王様」(新潮文庫ほか)

開高健が1952(昭和32)年に「裸の王様」で芥川賞を取ったとき、当日彼の家に新聞記者が多数押し寄せていたときのことを、開高自身がエッセイに書いている。当時、大江健三郎と賞を争っていたので、どちらが賞を取るか、大江の家にも記者が押し寄せていた。芥川賞が、ジャーナリステックな事件となったのは、これが最初と言われている。
しかし、開高は、その前に「パニック」を「新日本文学」という共産党系の文芸機関紙に、評論家の平野謙の評価を得て堂々発表している。そして、自身もその発表が、正式な文壇デビューであるとしているようだ。
 じつは、開高は学生時代から後に評論家となる谷沢永一と友人で、彼と一緒に焼け跡から復興しつつあった大阪で「えんぴつ」と言う同人誌に参加していた。(彼は、そこでのちに開高夫人となる詩人の牧羊子と出会う)
 その折に「あかでみあ・めらんこりあ」という優れた作品を書いた。これは「えんぴつ」の解散により、活字にならず、なんと手書きのガリ版刷りという、昔のつづり方運動顔負けの手法で世に出された。(のちに、この本は、開高が人気純文学小説家になったあと、角川書店より「幻の処女作」として再刊行された。文庫にもなった。)
 つまり「裸の王様」以前に、開高はすでにふたつの完成された作品を発表し、なお正確に言えば、この新潮文庫に収められている『巨人と玩具』という、「おまけ合戦」で著名なキャラメル販売広告における巨大企業の激突(もちろんモデルは今もあるGとLかMと思われる)作品も、受賞作の『裸の王様』より前に発表されている。
 ただ、なかでも、佐々木基一がこの新潮文庫の末尾の解説に書いているように、「パニック」は、開高健の本質のよく出た初期の傑作になっているように思われる。
 その本質とは、彼のその後の作品にいろんな形で結実する、原石とまでいわないが、つぼみのようなものか。
 ひとつは、「組織と人間」の対立、そしてそれだけでなく、その対立をも呑み込むある「怪物的」ともいえる力(エネルギー)の発見とそれに対する独特の感覚だ。
 のちに、それら人間社会を取り巻き包括する「自然と文明」の問題に対する開高独自の視点は、第二次大戦後東ヨーロッパで生まれた社会主義国訪問、ナチ裁判、イスラエルの理想国家の実験「キブツ」などのルポルタージュをはじめ、特派員として長年ルポと小説のテーマとなったベトナム戦争やアフリカの内戦などの戦争もの、晩年にテレビ番組にもなった釣り紀行などを通じて、一貫したアプローチの方法だ。
 それらは、開高が、作家として生涯取り組んだテーマであり、そのテーマに対する思想が、はやくも(「やはり」というべきかもしれないが)ハッキリあらわれている点で、非常に興味深い。

 この「パニック」という物語の主人公は、俊介という名前の若い役所の技術系職員である。
 この物語のテーマは、120年に一度枯れるササの実がネズミの大繁殖を呼び都市パニックを引き起こすというものだが、これは実際に昔ある地方で起こったことらしく、それを開高が新聞記事で発見し、題材にした。(彼は、その記事を安部公房も関心を持っていた、とある編集者から聞かされ、安部公房が小説化する前に発表する必要があった)
 俊介は、観察している野原でそのパニックの前兆を突き止め、事前に手を打つべく、役所内で効果的な対策を企画するが、主に(村)政治的な組織内のいろんな利権、立場の絡んだ障害に阻まれ、思うように対策が打てず、進展しない事態にいらだつ。
 とにかく、上司に最低限のゴマをすりつつ、その顔をつぶさないよう細心の注意を払いながら、上申を続ける。
 ようやくもう間に合わないのがわかっている段階で、責任者が事態の深刻さ、ネズミの脅威に気づき、急いで住民への対応上カッコつけのような対策が採用される。
 俊介は、失望しつつもその次善の策に全力を尽くす。役所内でどんな派閥にも属さず、すこしペシミスティックに、無駄骨をすすんで折るそんな俊介の姿を見て、役所内で政治的に無力なひとりの優秀な研究課の上司が、飲みながら話すシーンがある。

「はじめからぼくは投げていませんよ。あの上申書はむだと知りながら、後日のために提出したんです。」
 彼(俊介)はウォッカのグラスをあけるとボーイにハイボールを註文しながら研究課長に説明した。
「あれはうちの課長をとびこして直接局長宛にだしたでしょう。課長やら部長やらをたらいまわしされてぐずぐずしておればササはどんどんみのってしまうんですから、そうするより仕方がなかったんですよ。局長は自分で研究するのがめんどうだから課長にやれという。課長は部下にだしぬかれたんでカンカンになる。おまけに話の内容が途方もない幻想だと、こう三拍子そろえば処置なしですよ。いくら抵抗したってむだだからあっさりぼくは右へ回れしたんです」
「しかし、君、そのために君は課長の感情をえらく損ねたろう?もともとそそのかしたのはぼくなんだから、恥をかかしたナとあとですまなく思ったよ」
 「けれど現にネズミがわいたんですから、あのときのマイナス二〇点はいまじゃプラス四〇点か六〇点ぐらいにはなっていますよ。ぼくはそう計算したんです。気になさることはありません。ぼくは儲けていますからね。もしあのときもっと抵抗していたらそれを叩いた方はいまとなると完全に立場がなくなってしまいます。ぼくはますますけむたがられてマイナスばかりになるわけですよ」
 「だから黙っていたんだね?」
 「そうです。あのときは後のことを考えて最小(ミニマム)のエネルギーで最大(マキシマム)の効果をあげようと思ったんです。つまりミニ・マックス戦術ということになりますかね……」
(中略)
 「しかし、君。君はどうやら方針を間違ったらしいね。なぜなら、ミニ・マックス戦術というのなら、どうしてネズミがわいても知らん顔をしていなかったのだ。今度の災厄は君がどうジタバタしたってかないっこないんだよ。最大のエネルギーを使って最大の損失になるんだ。これほどむだなことはない。おまけに、上層の奴らはこの事件に手を焼いて責任を全部君にかぶせてくるかもしれないんだ。そこを、君、どう計算しているの?」
 「たいくつしのぎですよ」
 「……?」
 (中略)彼は急いで言葉をつけたした。
 「たいくつしのぎなんです。もちろんぼくは役人ですから自分の地位を高めるためなら他人をだしぬいてでも点数稼ぎをやりたいと思います。ミニ・マックス戦術ということも考えます。しかし、今度のネズミ騒ぎは、それよりなにより倦怠から逃げたくて買って出たことなんです。良心からとは思えないんですよ。それに、おっしゃるとおりこの災厄はぼく一人の手ではどうにもならぬことくらい、誰にもハッキリわかっていることなんですから、たとえぼくが失敗したって、とくにぼくの地位がどうのこのということはないと思うんですよ」
 農学者は彼の話に耳を傾け、慎重にひとつひとつ言葉を考えているようだった。その様子を見て俊介は上申書の件以来この男をただ世間知らずの学究肌の人間としてしか考えなかった自分の浅さを悔いたい気持になった。おそらく彼のあやふやな説明で相手は納得しないだろう。次に切りこまれたらどう受けようかと彼は逃げ道をあれこれ考えた。はじめから彼は恐慌を力の象徴と考えて来たのだ。災厄は偶発事件ではない。この島国の風土を無視した生命の氾濫現象は一二〇年前から着々と地下に準備され、起こるべくして起こったものである。はじめて農学者からササの実とネズミの関係を知らされたとき、彼はそのイメージの正確さに感動し、緊張した。その後山歩きのたびに彼は数式の因数がつぎつぎと出現して項がピタリピタリと満たされてゆく快感をつぶさに味わったのだ。連日連夜、東奔西走ネズミの大群と格闘する。その欲望を支えているものがじつは戦争ごっこのスリル、一種の知的遊戯に近いものであるといったらこの男はまんぞくするだろうか。それよりも、むだと知りながらも組織を通じて怪物と闘って自分の力をじかに味わいたいのだというほうが親切だろうか。
「どうしてほんとうのことをいってもらえなかったのかな」
 農学者はあきらめたように顔をあげ、おだやかに微笑して不平をつぶやいた。
 「ぼくだって君が純粋に社会的良心からやってるんじゃなかろうってことぐらいは認めるよ。たいくつしのぎもある。出世欲もあるだろう。しかし……」
 農学者はそこで言葉をきると嘆息した。
 「やっぱりぼくにはわからないね。君は無抵抗なのかと思えばそうでもない。積極派かと思えばチャッカリ計算もしている。その点ぼくには正体がハッキリしないんだな。ぬらりくらりしているくせに非常に清潔なところもあるらしいし、さっぱり本音がつかめないよ」
 農学者は投げ出したようにそういうと、苦笑をうかべながら、グラスをさしだした。俊介は自分のグラスをそれに軽くあて、ウィスキーを舌でころがしながら、なんとなく、
 (ひょっとしてこの男なら愛せるかもしれない)
 ネズミ騒ぎが終わってから、一度ゆっくり話しあおうと彼は思った。
 (開高健『パニック・裸の王様』新潮文庫 p.39-43)

 少し長い引用だが、この最後の部分は、さながらそのままサントリーの広告として使えるだろう。
 開高は、サントリーの創業期をコピーライターとして活躍し、この「パニック」を書いていた頃は、サントリーのPR誌「洋酒天国」を編集していた。彼は、痩身でめがねをかけ、白皙な額に前髪がパラりと垂れる、後年の釣り姿の巨体からは信じられない若い頃の写真があるが、当時からその姿と正反対の大阪弁を大声でかましたてる人物だった。「小説でハイボールを宣伝しときましたで」と、当時の佐治役員あたりに言っていたとしてもおかしくない。
 それはともかく、ここに開高自身の肖像が、主人公俊介とダブっていることは確かだし、その彼とウィスキーで乾杯しながら、俊介に「愛せるかも」と思わせる研究課の課長の様々な変奏が、開高の後年の戦争のルポを含めたノンフィクションには、旅や仕事、釣り旅行の中でであったユニークな人物となり出てくることを思うと、「処女作にはその作家のすべてがでる」みたいな話をきくが、うなずける。
 それとともに、ここに開高の思想もやはり現れている。
 彼が、後年、ベトナムの戦地に朝日新聞の特派員として乗り込み、戦記を週刊誌に連載した話は有名だが、このネズミのパニックに俊介が感じている「力の象徴」への驚愕、そして徒労に終わることを知りながらも、自身を駆り立て、その「怪物」との闘いに奔走するのが、たんなる「たいくつしのぎ」だと、語ってみせることなど、作家として開高が、ベトナム行きに同じ思想をもっていたのではないかと、思わせるのである。
 もちろん、彼はベトナム戦争に対して「べ平連」の活動に小田実鶴見俊輔と活発に関わっていたし、ニューヨークタイムスに作家同士で金を出し合い、停戦の訴えを広告に出したりすることもしていた。
 しかし、「ベトナム戦記」のあと、発表された「輝ける闇」のなかに隠れ見える思想は、まぎれもなく、そんなひとりの複雑な「芸術家」としての開高である。
 「芸術家」と「小説家」とどう違うのか、うまくいえないが、開高には、昔の(彼も敬愛していた)ゴヤやベラスケスのような、権力者の傍らで、その無知と横暴と弱者へのいたぶりと侵略者から受ける悲劇の没落などをつぶさに見ながら、キャンバスにその権力者の家族を愛情をこめて描き、と同時に戦争やそれに伴う飢餓民衆の苦しみを見つめ描き続けた18世紀から19世紀にかけての「芸術家」の風貌が、やはり見られる。
 その「近代絵画以前の宮廷画家」のような力量は、この処女小説である『パニック』のエピローグのこんな文章に如実に出ているように思われるのだ。
 俊介は、役所内の政治的力学に屈し、上司である課長から、今回のネズミ騒ぎの現場責任者として、責任を取らされることになる。代わりに、彼には、本社への栄転を約束すると告げられる。彼は、それを受け、ひどく混乱し泥酔する。
 そこへ、さっきのシーンで敬愛を感じていた研究課の課長が急いで彼を呼び出し、一緒に車を飛ばして、ある山の中の湖に向かう。
 

 夜明けちかくになってやっと湖についたとき、彼らは過去一年四ヵ月にわたって追いつ追われつしていたエネルギーの行方をついに発見することができた。
 湖を一周しかけた彼らはたちまち薄明のなかにひろがる狂気を見いだして車をとめた。農学者はユーレカの声をあげて自動車からとびおり、水ぎわへかけだしていった。そのあとから湖岸の砂地におりた俊介は自分が異様な生命現象に直面していることを知った。
 無数のネズミが先を争って水にとびこんでいた。明け方の薄暗い潅木林や草むらや葦の茂みなど、いたるところからネズミは地下水がわくように走りだしてつぎからつぎへと水にとびこんでいった。水音と悲鳴で、湖岸はただならぬさわぎである。ネズミはぬれた砂地を走ってくるとそのまま水に入り、頭をあげ、ヒゲをたて、鳴きかわしながら必死になって沖へ泳いでいった。
 奇怪な規律である。ただの一匹も集団からはずれた行動をとるものがないのだ。これはツンドラ地帯でレミングが移動のときにのこす記録とまったく一致している。飢えの狂気の衝動のために彼らは土と水の感触が判別できなくなったのだろうか。彼らの肺や足は陸棲動物のそれである。泳いだところでせいぜい時間にして一〇分から三〇分、距離にして八〇メートルから二五〇メートルくらいしかもたないのだ。しかも彼らは迂回することを知らず、一直線に泳ぐ。対岸をめざしているのではない。新しい土地を求めているのではない。ただ発作的に走っているだけだ。
 俊介は靴底を水に洗われ、寒さにふるえながらこの光景を眺めていた。朝もやにとざされた薄明の沖からはつぎつぎと消えてゆく小動物の悲鳴が聞こえてきた。その声から彼の受けたものは巨大で新鮮な無力感だった。一万町歩の植載林を全滅させ、六億円にのぼる被害をのこし、子供を食い殺し、屋根を剥いだ力、ひとびとに中世の恐怖をよみがえらせ、貧困で腐敗した政治への不満をめざめさせ、指導者には偽善にみちた必死のトリックを考えさせた、その力がここではまったく不可解に濫費されているのだ。
 (開高健『パニック・裸の王様』新潮文庫 p.64-5)

 この小説が、このシーンに向かってひたすら進行し、ここでクライマックスを迎えるのは、ひとえに作家が、芸術家としての想像の中で、現実でも起こりえただろうその場面をまさに「見た」からに他ならない。そしてそのイメージを、自身のいわば象徴的な「宿命」として、うら若い20代の芸術家開高健は、受け止め、ひきうけたように思える。
 だからこそ、この絵画的でもあり映画的でもあるイメージは、カフカカミュに及ばずとはいえ遠からぬ一編の20世紀寓話風現代小説のラストシーンとして、みごとに結実したのだ。
 これは、それまでそういう作品を持たなかったと言える、日本文学にとっても、大きな成果だった。
 そして、パニックをめぐる組織と人間を描きながら、圧倒的な力で増殖し、恐慌を巻き起こし、都市を駆け抜け、最後にはあっけなく湖のなかにおぼれ消えていくネズミの大群を、「力の象徴」として、そのイメージごとキャンパスにとどめようとしているのも、彼の「画家」的な側面があらわれているところではないだろうか。
 それが、彼の小説を、文学とひとことでくくるには、少し猥雑で雑多で、わかりにくいものにしている気がするのだが。
 
 そして、いま、われわれは東北震災後の福島の原発事故にまつわる様々な情報を知るにいたり、俊介が立ち向かったのと同じ種類の、「怪物」に対する人間の生態に、また向き合っているのを感じるのである。組織の腐敗をにおわせる東電と政府のつながり、原子力産業のえじきとなった東北の土地、そして事故後の責任回避の答弁と現場の中間管理職の奮闘、周辺住民の悲劇と復興支援業務の遅遅としてすすまぬ現状。
 それが、ネズミと言った自然災害と比べるべくもなく、悲劇的で悲惨なのは、放射能という、いまだ未知の「怪物」が、21世紀にあらたにあらわれたからに他ならない。

 それにしても、開高さんが、今まだ生きておられたら、ひょっとすれば、まったくおなじだあのとおりだと、つぶやくのではないだろうか。