「居場所」とオウム事件〜1995.6.28朝日新聞(ウォッチ論潮)「若者とらえる底無しの自問とオウム」芹沢俊介 2011.12.5京都新聞「オウム裁判終結(下)〜自分の居場所 持てずに生きる」星野智幸

やっとというべきかついにというべきか、オウム真理教による地下鉄サリン事件他の最後の指名手配容疑者高橋克哉が逮捕された。わたしは知人と一緒にいたマクドナルドでふと見た携帯のニューステロップをみてはじめて気付いた。驚いたのは、それほど逃げていなかったことだった。
今にも降りそうな曇り空を見ながら、なぜもっと遠くに逃げなかったんですかね?と知人に言ったら、駅やバス乗り場には必ず監視カメラがついているからでしょう、とのことだった。日本の警察による監視カメラは半端じゃなく、多いらしい。遠くに行こうにもカメラにキャッチされる可能性が高く行けない、そういうことだったらしい。
オウムの一連の報道について、今までそれほど熱心に注目していたわけではないが、昔の記事を探した。
前回、紹介した芹沢俊介氏が、1995年の地下鉄サリン事件のほぼ半年後の6月、朝日新聞の論壇記事で、標記のタイトルの論評をされているのを見つけた。以下少し引用します〜

「…五月七日の夜のテレビにオウム真理教を離れた高橋英利氏が出演していた。彼は自分の意識のレベルの悩み―私がここにいるのはなぜ、どこからきてどこに行こうとしているのか―は家族や友人によっては解決できないこと、そういう悩みにきちんと正面から向かい合ってくれたのは唯一「尊師」麻原彰晃であったこと、ただ麻原やオウムが内部的に変質してきたため、自分はオウムを離れた。以後は麻原のもとで探求してきたことを自分ひとりで考え続けたい、およそこのように話した。
私には高橋氏に象徴されるオウムの若い信者たちもまた、二十代の前半から早川義夫(注:記事の冒頭に芹沢氏はこの早川義夫の歌『この世で一番キレイなもの』を紹介している)が直面していた底無しの実存的な自問にとらえられたのではないかと思えてくる。」
(1995.6.28朝日新聞(ウォッチ論潮)「若者とらえる底無しの自問とオウム」芹沢俊介


この記事が示しているものは、実は前回紹介した芹沢氏が京都新聞に書かれたオウム裁判終結に際しての記事の翌日、その二回目として、星野智幸氏が、おなじくオウム裁判について書いておられる記事がある、それが今日もわれわれが直面し、日頃よく耳にするようになった「居場所」という視点から書かれていて、17年前に書かれた芹沢氏の感慨と深くつながっている。
以下その京都新聞からの引用。

「少し以前、『便所メシ』という言葉があった。大学生が、一人で食事をしているところを誰かに見られたら『寂しい人』として地位が下がるから、トイレの個室にこもって食事を済ませるのだ。
他人の目線が、自分の評価のすべてになっているのである。自分の価値とは、自分で決めることではないのだ。そんな息苦しさは、自由気ままでいいはずの大学生ですら追いつめ、居場所を奪っている。…いったい、いつから居場所は奪われたのだろうか。それは突然に進行したことではない。
サリン事件以前にオウム心理教に入信した者たちも、あの時代、居場所のなさに苦しんだ者たちだったと私は思う。まじめにものを考えようとする人間が「ネクラ」として嘲笑されたバブル期とは、要領のよさ、ノリのよさを身につけろ、という強迫観念に取りつかれた時代だった。」
(2011.12.5京都新聞「オウム裁判終結(下)〜自分の居場所 持てずに生きる」星野智幸

たしかに、80年代中頃の大学には、そういう「ネクラ」に対する恐怖がものすごくあった。
なぜあのような雰囲気があったのか、いまでも不思議に思うほど、政治や生き方、世界情勢や反核などを語ったり、考えたりすることが「ダサく」、わたしはどちらかと言えばその種の学生であることを自他ともに主張したため、気にしなかったが、やはりどうしても孤立感があった。
今も、大学はたいして変わっていないように思えるが、あの頃はたしかに、星野さんが言うように「強迫観念」というべきものがあったと思う。
そこで、あの頃を知っている人間として、当時はそうは言わなかったが「居場所」みたいなものをなくした若者がオウムのような宗教に惹かれたのはよくわかる。
オウムじゃなくとも、宗教の勧誘はあの頃はよくあったものだった。

そんな孤独な環境で勧誘を受け、人生や世界のことで、明晰な教えを語るものがいれば、つい宗教のセクトに入ってしまうかもしれない。
ニュー・アカニュー・アカデミズム)ブームもあり、知的な関心が大学生になくなったわけではなかった。
しかし雰囲気として、真面目であるほど、そういううさんくさい勧誘に足を掬われやすかったことはあったのである。
まさにそんな時代にもっとも読まれ人気のあった小説家が、デビューして間もない、村上春樹さんで、その10年のちに、同じ作家が、地下鉄サリン事件のノンフィクションを書くことになるというのはなんと皮肉なことか。
記事に戻ると星野氏はサリン事件後のオウム(ないしはその種のカルト宗教集団も入るかもしれない)に対する反応についてこう書かれていた〜

サリン事件の後、私たちは、かれらがなぜ入信し、先鋭化していったのか、虚心坦懐に耳を傾けるべきだった。そうすれば、かれらの中に自分と共通する部分があることを、知っただろう。私たちも自分を放棄しているという意味では、本当の居場所を持っていないことに、気づけただろう。
だが、社会とメディアが行ったことは、かれらの居場所をさらに奪うことだった。かれらを追放することで、自分たちの居場所を確保しようとしたのだ。…
 以来、この社会では、集団で誰かをバッシングすることで自分を守ろうとする生き方が、標準となった。行き着く先は、すべての人間が完全に居場所を失う社会である。
原発から目を背けて原発を増やしてしまったように、オウム的なるものから目を背ければ、それはどんどん増殖する。例えば秋葉原事件の加藤智大被告は、その一例だろう。
 自分が社会から排除されて居場所がないと感じている者にとって、タブーなど存在しない。」
京都新聞掲載星野智幸氏の同上記事より引用)

ほとんど全体の半分くらい、引用したが、重要な指摘だと思う。
いったいいつから、われわれは違う考えのものや集団を排除してゆくようになったのか?
もちろん右翼もあれば左翼もむかしはあった。しかし問題なのは、勝ち負けの結果も示されず、どちらかがなくなったり、地下組織化したりせざるを得ず、退場させられることかもしれない。
問題なのは、共存できないことなのではないか。
星野氏の指摘は厳しくもっともで、こうした疑問を深くわれわれにつきつける。
逮捕された高橋被告が、麻原の本やテープを持って逃げていたことをマスコミは攻撃しているが、オウムを擁護するわけでなく、この種の一見正義感あふれる「犯人つるしあげ」からは、われわれはなにも得ることはないだろうことは、間違いない。