80年代についてのあやふやな見解〜新潮文庫の100冊と吉本隆明的なもの

先日来、オウム真理教のことを「オウム心理教」と記載していたことに今ごろ気づいた…。赤面ものですが、携帯だと訂正できないので後日訂正させていただきます。

ほんとうに今年の梅雨は台風の当たり年で農家の方は大変だろう。(お見舞い申しあげます。)
前回、80年代がこんな時代だったみたいなことを書いていたが、あまり過ぎるとへぼ学者のようで足を掬われそうなのでやめておく。そもそも、わたしの数少ない体験のおまけにあやふやな記憶から、ごく狭い範囲の本や主に大手新聞の情報とあわせて、その時代がこうこうだったなどとは、なかなか言えるものではなく、たとえば「○○の時代」などと定義付けようとしたところで、その時代の最初と最後が、明治や大正時代とかいったように、誰もが納得する明確な線引きができない以上、百人百様の見解ができてしまう分野といえる。
まったくもってこれみよがしに書くような問題でないが、そういうことを前提に少し考えてみたいことがあった。
そして、わたしの感覚で80年代を、もういちど性懲りもなく考えてみると、いまとは正反対のものが比較的もてはやされた時代に思える。
これも、わたしだけでなく回りには、そういう風潮になじめない人間も意外とたくさんいたから、どんな時代であってもやはりそれ一色ということはなく、あとからあの時代はこうだった、などと言うのは誇張がどうしても入りこみ実像をゆがめがちである。
それでもあくまで感覚的に覚えていることをいうと、あの頃、急激に「インテリ」の価値が下落し、それは見えない地盤沈下としてわたしには感じられた。「インテリ」になんの恩恵も借りも義理もなかったが、ちょっとばかし大学にはいる前に比較的昔の学生がよく読んでいた(開高健大江健三郎、おもに文学系のもの)本やなんかを読みはじめたもんだからか、非常に心外に感じた。
たしか「新潮文庫の100冊」といういまでも続いている夏休みに本屋で開催される文庫本のフェアがあるが、ちょうどそのころのそのフェアの広告コピーは、「インテリゲンちゃんの夏休み」というもので、俳優の小林薫さんが広告に登場していた。
これなどは、非常によくそのころの気分を物語っている。つまりそれまで上位に不動の地位を占めていた「インテリ」的な価値(その位置にいる人が必ずしも真正にインテリかどうかはともかく)を落として洒落にしている、とともにその実のない虚飾になりがちな権威を笑いながらもある種の敬意みたいなものは消えていない、複雑な目線が表現されている。奇しくも、「インテリ」の語源が、ロシア語の「インテリゲンチャー」であることを、おそらくかなり忘れていた人ビトに思い出させる効果もあっただろう。
たしかこの数年前の新潮文庫の100冊のなんとテレビコマーシャルは桃井かおりがでていた。そうした大胆なタレントの起用やコピーを考えると、あれらの作者は糸井重里氏だったかもしれない。
とにかく経済的にバブル期の直前で世界を席巻するかも、という好景気が、知的なものをわれわれにどんな景色にして見せるかを体験したといえるかもしれない。
それは、たしかに、バブル崩壊までの一時的な景色だったにせよ、簡単に言えば「岩波文庫」的なものはそれまでの日本ではゆるぎないものだったろうが、われわれの経済的地位が上昇するにつれ、それはあれよあれよという間に目線よりはるか下に下がってしまった、といえるかもしれない。
その他いろんなもの(既成の価値概念をはじめ)が、異常な円と株価と地価の値上がりに反比例するかのごとく、下落していったような思い出があるが、詳しく細かいことはさておき、その下落のなかに、政治思想とか、いわば学生運動のさなかよく読まれた(とされる)吉本隆明的なものもあったことは、たしかである。
それも一種のブームであった側面もあるだろうが、当の吉本本人は、自分の過去の隆盛を極めた輝かしい業績にすがる、つまり守勢にまわることなく、新しく登場した80年代日本の「消費社会」の思想的規定を通して、ついにその知性を見事に変転させたようだった。
これについて最近、吉本隆明が亡くなる前に、中央公論にて高橋源一郎さんと内田樹さんが吉本について対談したなかにこんな部分がある。引用する。

内田:1984年に吉本さんが『アンアン』にコム・デ・ギャルソンを着て登場して、埴谷雄高と論争になったことがあったじゃないですか。あのときに「あれ?」という感じがあった。
吉本さんは生活者とともに移動していくから、80年代に日本の庶民の生活レベルが上がって世界観が変わっていくにつれて、いつの間にか中層ブルジョアジーの感受性に対しても理解を示すようになったでしょう。ところが、僕は80年代の日本の浮薄な雰囲気が心底嫌いだった。だからそれを思想的に基礎づけるような吉本さんの仕事には共感できなかった。」
(『中央公論2011年12月号』吉本隆明江藤淳―最後の「批評家」』)


さて、世界同時不況と3.11を経て、現在の日本は、あの頃の日本とは「別人」みたいに思えなくはない。とくに東日本大震災原発事故は、大きく時代の流れを変えつつあるように思う。
今日、昼間テレビであのマイケル・サンデル先生が講堂のような大きなホールに日本の大学生を集め、その原発事故関連のテーマで「白熱教室」をやっていたが、かなりたくさんの参加者が果敢に意見を述べていた。
まさに白熱教室で好んで取り上げる種類の話は、80年代においては、もっとも価値の低いものであった。それだけでなく、あの頃比較的価値が低かった農林業や自然のなかの山登りみたいなスポーツ、自転車、手作り、古本店などがいま見直されもてはやされている。
それらのなかに「居場所」回復の活動も含まれていることを思うと、あの頃から長期にわたり「居場所」問題は徐々に発生していたのだろう。