京都弁護士会・憲法と人権の集い 内田樹・土井香苗講演会

昨日は前振りだけに終始してしまい、申し訳ありません。
講演会の中身について少し触れます。
ただ、この講演会で少し驚いたのは、会場の前の舞台を少し外れた右手に、大きなスクリーンがあって、そこに速記者が打ち込むのだろう、講演者の話が瞬時に活字となり写し出される。
おそらく、聴覚障害者向けの対応だと思うが、さすが弁護士会、少数者に優しいと感心した。
そしてなにより司会者の一人の方が、わたしの元職場関係の知り合いM氏であったのにも、驚きを禁じ得なかった。
(この方は弁護士である。アンケートにメッセージを書いて終了時にボックスへ入れておいた)
さて、やっと本題だが、まず内田樹の講演は、テーマは「タフでしなやかな外交とは〜平和と基地問題から考える」であったが、一貫して通低していたベースは、日本の現代メディアに対する苦言であった。
誰もビッグ・ピクチャー(大風呂敷)を広げ、日本の外交、周辺のアジア隣国との関係や日米関係について、将来何年にもわたる見通しを持った話をしようとしない、という見解である。
これは著書の「日本辺境論」の冒頭にも語られていた内容だが、日本のメディアおよび知識人が、抱えている病としてあらためて問題提起しておられた。
たとえばフランスやイギリスの新聞はかような些末な場当たり的情報より、かなりロングスパンな視点から論じている記事が多いと言う。
それとたとえば基地問題で、日本のメディアが全く報じていないが、韓国での米軍基地の状況があるとのこと。韓国のある米軍基地は近辺の食べ物屋さんや飲み屋がことごとくアメリカ人受け入れ拒否運動を行った結果、基地移転を余儀なくされたという。
ここで内田樹は、二つ重要な指摘をする。
一つは、日本の現在の政治家やメディアが、基地問題という難問を解くに際し、たとえば隣国のアジア諸国でかような基地問題と各国がいかに対応しているか、調べたり情報を投げ掛け問うといった姿勢が全く見られない、ということ。
つまり、こうした問題を考えるとき、選択肢が多ければ多いほど、最も妥当な結論が得られやすいはずだが、そのような程度の情報さえ国民に提示するわけでなく、考えの選択肢があまりにも少ないなかで、ひたすら考えているという指摘だ。
二つ目は、この選択肢の少なさの原因でもあろうが、日本がこと問題がアメリカに関係すると、対応が極端におかしくなってしまうことだ。
つまり、韓国におけるように、住民が露骨に反米感情をストレートに発露することが、日本人はできないんだ、という指摘である。
内田樹は、それは日本がアメリカに敗戦したからだ、と言っていた。
日米関係は、戦後ねじれにねじれていて、それが日本のいわば宿命なのである。
本来的には、敗戦国の取りうる戦勝国に対する「健全な」対応というのは、臥薪嘗胆、つまり臥して次回のリベンジを期す、である。
しかるに日本人には、アメリカに対する精神的なねじれを深く内蔵していて、そのような健全な対応を自ら押さえ込んできた戦後の歴史を抱えている。
内田は、面白いこの例をあげていた。つまり日本の右翼が、本来は反米であるべきなのに、なぜか親米だという事実だ。
ブログのなかで内田樹は、この「ねじれ」についていろんなところでかなり触れているので、興味のある方は見ていただきたい。
本質的にこの「ねじれ」の起源が、GHQによる憲法制定の際生まれたとする論を、昨日触れた文芸評論家・加藤典洋が「敗戦後論」(ちくま文庫)で展開している。さらに関心のある方は、ぜひ読んでみてください。
内田は、ブログで「日本はアメリカの軍事的属国で、外交におけるフリーハンドを持っていない」とことあるごとに言っているが、それは結構深い心理的事情が敗戦後日米に生まれたからなのだ。
なぜなら、日本のメディアや政治家はことごとくそのことを隠微してきたからである。
加藤典洋は、「敗戦後論」のなかで、戦後の進歩的と言われる知識人たちも、そのことを無意識のうちか意識的かわからないが、そのことを無視してきた、といくつか例をあげ、論じているところだ。
少し、また寄り道してしまったが、要は、もっとメディアは、ビッグ・ピクチャー、大風呂敷を広げるべきであって、だからこそロングスパンに立った論議ができ、冷静で妥当な選択肢を選ぶことができるのではないか、しかるに今のメディアは些細な政局、永田町や霞が関の裏情報を流すのが、報道だと思っている…。
と、メディアに手厳しい苦言を話されていたが、最後に、参加者からの質問を、紙に書かせて集め、そのうちいくつかの質問に内田が答えるというコーナーがあった。
最後の質問に「日本の政治が悪いのはわかるがじゃあどうすれば日本の政治がよくなるでしょうか?」というのが取り上げられた。
これに答え、内田樹は「いまはなりたいひとが政治家になっているが、なりたくないひとが政治家になる世の中がくれば、日本の政治は変わるのではないでしょうか」と答えていた。
また世界各国からも疑問である「どうしてこんなに早く首相が変わるのか?」という司会者の質問に「さらに変わり続けるでしょう」と予測していた。
なぜなら、誰か一人の元首が変わったくらいで、政治が変わるほど日本の政治の段階は未成熟ではないからだ、と語り、講演会は終了。
講演のなかには、目下の事件北朝鮮問題や、中国問題、また教育の問題に触れたところもあったが、また今度考えつつ紹介したい。
なお、会場はほぼ満員で年齢層も幅広く、そこここに学生っぽい若い男女も見受けられた。
土井香苗さんの講演については次回書きますー。