同窓会 懐かしい人からの携帯メール

昨日、夜勤中前の会社の同僚のいるか君(仮名)からメールがあった。
彼の手帳によると、昨年の12月初旬に京都に来て、わたしと一緒にラーメンを食べに行った。たしか紅葉を見に来たのだ。
わたしはあれからもう1年経ったことに軽いショックを覚えた。

しかしそれは同窓会につい最近出席したときのショックとは比べ物にならない。
中学卒業以来35年振りだった。
ちなみに最近同窓会ブームだそうだが、このブームにソーシャル・ネット、とくにFacebookが大きく影響しているのは、確かのようだ。
わたしの同窓生も、友達繋がりで、女性の場合姓名が変わっていることが多く、判断が難しいが、頻繁に「共通の友達○人」と表示され、友達になりませんか?と画面に出てくる。
これにはスマホが急速に普及しているのも関係しているだろう。
同窓会でも、「おまえまだガラケーなんか?」みたいな発言も飛び交ったり、スマホで写真を撮ったりしている女子がいた。
同窓会をやる前に、その案内を出すのが幹事サイドでまずかなり難しい仕事で、やはりこんな時間が経つと住所がわからない。
そこでFacebookをたぐると、連絡がとれ、さらに誰それの消息を知らんか?と芋づる式に連絡先をたぐりよせる。
そういう意味では便利な社会になった。
幹事によれば93名も集まったそうだ。全員かと思うくらい会場は満員だったが、それでも学年の4割り強らしい。
クラスは6つあり、わたしは受付で3年のときのクラスをK君に訊かれ、忘れてしまっていたことに気付いた。
K君とは高校が一緒だった。しかしそれでも30年以上会っていない。K君があまりにも変わっていないのに軽いショックを覚えた。
他の人も見覚えがあるというより、中学の頃のずっと一緒にいた時間が急に現れた感じだった。
いままだそんな不思議な感覚のなかにいる。
たぶん、その受付でK君と再会してから、時間が一瞬にして過去へ戻ったかのようだった。

この夏のことだ。近所に住んでいたFさんが、たまたま実家に帰省してきたのにばったり出くわし、これもほぼ40年ぶりくらいに話をした。彼女は高校生の娘さんを連れてきていた。
そういうのはドラマではよく見る場面だ。しかし自分に関してはなぜかあまりなかった。たぶん土日や祝日がほとんど仕事だったせいだろう。
こういうことが起こるのも、この同窓会が行なわれるというのとリンクしていたのかもしれない。
彼女に「今年同窓会があるんや」と言ったら、近所に住んでいたNさんという女の子と彼女は仲がよかったらしく、もしNさんが来たら、連絡取りたがっていたと伝えてほしい、といわれた。
Fさんは、私立の中学(音楽系の)に行ったので、同窓会には参加できない。
わたしはメールアドレスを書いたメモを預かった。
さて、果たしてNさんは、当日なんと金沢から参加していた。
わたしは彼女が子供の頃とそう変わってない印象なことに驚いた。
(驚いてばかりいるが、よっぽどみんな変わっているだろうなという変な先入観がわたしにはあったようだ、、、。)
わたしはFさんからの伝言を伝え、預かったメールアドレスを書いたメモを渡した。

昨日、Fさんから、Nさんからメールがあったと、報告があった。

同窓会が終わったあと、わたしはFさんに、Nさんに会えたとメールをしたのだが、そのお礼のメールがすぐに来たとき、わたしは不思議な感覚を持った。

自分のことはさておき、昔の知人、携帯が普及する時代以前に知り合っていた友人や知人からメールをもらうときに、変な気分がするのである。

われわれは小中学時代から高校、そして大学を通じても、この携帯というやつがまったくない時代、電話か手紙しかほとんど連絡手段はない。

その間、別にとくに親しくはなくとも、その長い共有時間が同年代の人間にはあるため、その相手が、たぶんその長い「未開時代」にまだいる感覚があるからだろう。

わたしは彼女からのメールをそんな奇妙な感覚を味わいながらまた眺めていた。
絵文字がなかったので少し安心した。

すこし色づいてきた街路樹。
下は国際会館前から見る比叡山