「私を忘れる頃」〜12.20テレビ「ミュージックエッジ」カバーアルバム特集〜女(男)の歌を男(女)もうたわんとしてすなり?

この間、深夜の音楽番組で、カバーアルバムがブームだと特集をしていた。

ブームの先駆けは徳永英明のVocalistだという。かれこれ7〜8年、いや4〜5年?になるのだろうか。それ以来、オリジナル曲を作るのが大変だからか?カバーアルバムというものが矢継ぎ早に出されてきた。

しかし、アーチストばかりの事情ではなく、おそらくどうもレコード会社側の事情がありそうだ。というのは今井美樹が年始にFMでインタビューを受けていて、チラッと車のなかで聴いたのだが、彼女はいまイギリスに住んでいて、レコード会社のプロデューサーが何度もユーミンのカバーを歌えとお願いにきた、と話していた。
最初、彼女は「ユーミンの歌は"聖域"だから」といって断っていたらしい。が、説得されて今回カバーアルバムを出すことになった、と。

なぜレコード会社がそこまで熱心なのか。
たぶん売れるのである。もしかするとオリジナルより。
煎じ詰めればアーチスト側のいい楽曲ができない、という原因があるといえばいえるが、聴く側も、新しいものより、古く懐かしい歌を聴きたがっている傾向もあるだろう。これはここ10年くらいの現象で、おそらく団塊世代から、われわれ60年代生まれのアラフィフが、どうも回顧モードに陥っているのでは、と邪推したくなる。


たしかに先日わたしの中学の同窓会があった。幹事が仲のよい人間だったので、人集め(探偵みたいに居場所を探さねばならない)の手伝いをやってわかったが、他の近い学年でのやり方などを参考にするため調べたら、ブームと言えるほど最近よく行われているのがわかった。(われわれは卒業以来集まるのは実質はじめてでちょうど35年振りだった)。

その中学の合唱コンクールで、ユーミンの「ひこうき雲」を歌ったクラスがあった。昨年奇しくも、その歌がリバイバルで流行った。宮崎駿の映画の主題歌になったからだ。
ちなみに、われわれの中学生の頃、1978年頃、すでに荒井由美松任谷由美になっていたはずだが、たしか女子は荒井由美だったユーミンのLPレコードを貸し借りしていた。もしかすると姉や兄が持っていたレコードだったかもしれない。当時ヒットしていたのはアリスや松山千春だった。

今井美樹のその番組では、そのカバーアルバムのなかから「私を忘れる頃」がかけられ、この曲がよくできた名曲であることを再認識させられた。風景がみえ、またその曲により、周りの風景が違って見える、ポップスの名曲にはそういう劇的作用がある。
それは、年末に訃報のあった大瀧詠一氏がメンバーだったはっぴいえんどの音楽が強く持っていた特徴であった。ユーミンが、その日本のロックの黎明期のバンドのなかから生まれたと言っていいアーチストだったことを思うと、宮崎駿の『風立ちぬ』のなかで「ひこうき雲」が使われ、リバイバルヒットした年の暮れに、大滝氏が亡くなられたのは、因縁めいた出来事といえるかもしれない。

話が飛んでしまったが、カバーアルバム特集のテレビ番組では、最近、オリジナルのアルバムは出してなく、カバーを歌うのを専門とするアーチスト("ボーカリスト"と言うべきか)が出現してきた、と紹介していた。
クリスハートやMayJという歌手は、テレビのバラエティでカラオケをうまく歌う素人?として出演し、その功績からなんと歌手としてカバーアルバムを出すようになった。
たしかに、彼らの歌う有名アーチストのカバー曲は、なかなか聴きごたえがある。

この現象はなんなのだろうか。Jポップスも、ビートルズの来日から約50年を経て、スタンダードといえる楽曲が確立され、ジャズやクラシックのように、何人もの歌手に歌われるストックを得た、ということだろうか。
どうも、カバーのブームは止みそうにないように思われる。


番組ではBENIというハーフの歌手が、JPOPの日本語の歌を、なんと英語に訳し、歌うのを、本人をゲストに迎え、放映していた。
そこで彼女が言っていたことが面白かった。
英語カバーでは、必ずしも歌詞を「直訳」するのでなく、原曲の日本語の語感にそった「意訳」を駆使して、音楽のよさを損なわず歌うことに気を付けている、という。
たとえば「粉雪」というレミオロメンのヒット曲がある。この英訳の歌詞に粉雪の直訳であるpowder snowということばはない。「粉雪」にはさびの部分で「こな〜ゆき〜」と伸ばして歌う部分があるが、その元の語感を損なわないよう、come to me…(あとは忘れてしまったが)という、意訳の英語を当てはめて歌うという周到な工夫を紹介していた。


この英訳カバーには、カバーを歌うという行為の本質、楽曲を「解釈」し、その「解釈」にオリジナリティを出す、という水面下の作業が見える。
このブームの火付け人徳永英明は、まず女性の歌をカバーし、その楽曲を男が歌うことにより出てくる別な魅力を探るだけでは、ないように思う。なんだか、女性の歌を男性が歌う「意味」をなんとなく考えさせられなくもないといえる。

この問題は、わたしには興味深い。それはどんな意味かというのは、ジェンダーフリー(性差なし)に一見見えるポップスにも、微妙かつ厳然たる性差があり、いまやそれはジャンルに近いような、男歌と女歌と言うべきものがポップスに発生していることだ。
そして、徳永英明は、ある種掟破りのやり方で、あえてカバーすることで、それを証明したように思うからだ。
しかしサブカルチャーは、もともと男女差の激しい分野だった。漫画が明確に少年漫画と少女漫画に、雑誌そのものが分けられていたし、それに呼応し、テレビ番組も、週刊誌やファッション誌も厳然と分けられていた。
そして、その区別を前提として、漫画においては、その相互作用、クロスが70年代後半以降、イノベーションの誘因となり、主に女性作家に表現の進化と深化があった。
ポップスが、アイドルとはまったく違った場所で、男向け女向けに分けられていったのは、日本の商業慣例上、普通と言えるだろうか。またそのクロスした分野で、ニューミュージックというイノベーションがあったというべきか。いや、多くのアートと同じく、男もすなるものを女もしてみんとして、すなり(土佐日記)、といった伝で、男性中心の分野に女性が進出して、イノベーションが発生したのだろうか?
考えていくと、よくわからない。しかしロックミュージックが最初は、ジェンダーがあまり意識されていない(既存のあらゆる権威や常識に対抗する)場所から始まった気がするのは、ストーリー漫画もそもそも、創始者手塚治虫には、その女の子向け男の子向けの区別はなかった点をみても、ロックも漫画も、ある種ビジネスになった時点で分化してきただけなのかもしれない。


日本のアートには、性差のクロスが巧妙に隠されている気もする。
それは男性である紀貫之がじつは女性を装って、土佐日記を書いたという事情にあらわれている。
これは徳永英明が女性曲をカバーする位置とどう違うだろう。
また、英語の文化圏に属するBENIが、JPOPの男性曲を英語でカバーする位置と、それはどんな違いがあるだろうか。
これは日本語のなかにある謎、「私」が「わたくし」という女性語から標準語となったようにみられる点や、かな文化(和歌)が女性文化で、漢語が男性文化かつ輸入語であることも関係しているのであろうか。
あまりうまく考えがまとまらない結果となってしまった。また以降折に触れ考えたい。