ネット上の投稿について〜フェイスブックなど〜と花火

「大文字が終わるときのさびしさがなんともいえない」と、ある知人がつい最近言っていた。(この方は、日吉町で田舎暮らしをされているKさんです。。)その大文字も終って2日目の今日、朝のうちはけっこう今までとは違う雰囲気の風が吹いていた。しかし、昼を過ぎると、いつもどおりの蒸し暑さがやってきた。
 たしかに、お盆の真っ最中15日ごろから、暦どおりというか、つくつくぼうしが鳴いているのを耳にし、夕暮れも暗くなるのが若干早くなり、虫の音もするようになった。しかし、今日もとにかく暑い。残暑の厳しさを思い知らされる。
 ほぼ、1ヵ月も更新を休んでいたが、たまたま連絡があった知人から、何か書いてほしいと言われ、久々に更新しています。
 今年、わたしの地元(に今住んでいるのですが、)の中学で同窓会をやるで、と仲のいい友人が幹事を買って出た手前、ほんのすこしですが、準備を手伝い始めていた。そして、あのソーシャルネットの威力を思い知っているところです。
 けっこう、同窓生がそれで見つかる見つかる。思いのほか、普及しているようですし、その噂を聞きつけてか、同級生のなかには、あらたにはじめたばかりの方も多いみたいです。
 毎日情報や写真がアップされていて、見ていると時間がすぐたってしまいます。
 スマートフォンが、急速に増えてきていますし、やりやすくなったのでしょうね。
 
 というわけで、フェイスブックは、たしかに、写真も載せやすいし、操作が簡単で、ついそっちに関心が行きがちな最近でした。

 しかしながら、あのような実名での情報の公開というスタイルに、わたしなんかはもう一つなじみきれず、別にこのブログでもそんなに変わりがあるわけではないのですが、恐々やっているところもあります。
 フェイスブックは、このブログでもやろうと思えばできますが、かなり簡単に、自分のページの閲覧範囲を限定し、公開の範囲を狭めることも可能です。
 いろいろ、ネットの情報については、公式なサイドからは、個人情報の関係で注意するよう呼びかけていますが、つい感覚が麻痺して、大胆な投稿をしてしまうときもなきにしもあらず、その点、このように匿名のブログのほうが、すくなくともわたしは、安心できるように思います。
 文章をこうやって、公開しながら書くことに、どういう意義というか、少なくとも自分にメリットがあるか、考えてしまいますが、このネット空間に向けて、文章を書いていると、ある程度自己満足?できるんですかね。
 すくなくとも、自分ひとりで、誰に見せる用意もなく、ノートやパソコンに文章を書くのとは、確実に違う感覚があります。
 それは、たとえばギターを弾いて歌うところを、数少ない人に見てもらうときの一種の恍惚の感覚に似ています。
 やはり、人間は自分のことを、誰かに見てほしいとどこかで思っているせいですね。かといって、大勢の前に出て、歌ったり、文章を見せたりというと気がひけるのですが。
 その対象となるみてほしい人たちが、おそらく自分の思いとはかけ離れて多かったりすると、困ることになるのでしょうが。

 昨日、花火を近くの公園で見ることができました。画像は悪いですが、掲示します。