動きたがらない性分をいかにするか〜

この間の同窓会のインパクトの引き合いに、わたしの友人からのメールなんかを出してしまった。あとから読むと悪いことを書いたと思う。(許してください)
何かにつけて現状を変えるのが苦手、ノートパソコンなんか動かせるから便利なのに、それさえ位置が定まると動かしたくなくなる。
この種の変革を嫌う性分となぜに革命(的な〜イノベーショナルな〜出来事)への憧れがあるのか、よくわからない。
あるいは、小まめに部屋の模様替えなどする人ほど、社会的変動は好まない傾向があるのかもしれない。

そんなものぐさな人間は、行動を起こすには、他人の助けを必要とする。
会社にいた頃は上下につつかれたし、締切や顧客の待ったなしの要望があった。
いまわたしを突き動かすのは同居している母(の世話)と、友人としている仕事といくつかのアルバイト、そしてボランティアの活動日などだが、さすがに昔より強制の度合いが弱まっているのは否めない。
しかし今年新しく知人とはじめたイベントがあり、その宣伝をしなければならなかったのは、強くわたしを揺り動かした。

と言っても、前日になるとは。
慌ててネットに情報を流したり、チラシやフライヤーを心当たりの場所に設置しに回った。

しかしたくさん回れた方だ。気候がいいからだろうか。天気も昼から雨と予報で言っていたが何とか持った。何軒か回ったが皆さん快く受け取って設置しますと言ってくださった。
しかしながら、他にもチラシやフライヤーは目白押し。みんな置きにくるためなかなか目だたすのはむずかしい。

一軒、こちらもフライヤーを置いていただけた、某古書善行堂さんで目にしたフリーペーパーはインクの薄い万年筆の手書きの字で書かれたもので妙に目を引いた。
その人が面白かったのは、自分で出した詩集が本屋に「流れています」と書いていたことだ。この感じは、最近のこうしたフリーペーパーぽい冊子によくある感覚である。
標流感といおうか。
流れは、たしかに大切で、逆らうと進めないし、思いがけなく進むときは流れに乗っているのかもしれない。
今日いつになく?効率よく仕事ができたのも流れに乗れたのかもしれない。
あっちへ行ってから、こっちへ行ってみたいな思惑がすぐ決まり迷わずにすんだ。
母を連れて所々で車のなかで待たせたが、最初に寄った某パン屋さん進進堂で飲み残した紙コップにプラスチックの蓋のついたコーヒーをずっと帰るまで飲んでいた。
「まだそれあるか?」
(手に持ってみて振りながら)
「ある」
店を出るとき飲み残しを惜しげなく捨てている方を見かけたが、そうやって飲めるように蓋がついているのに、と思うのは余計か。

今日日曜も仕事だった友人とも会えた。
急だったが思い付きでメールすると職場近くで合流でき、夕食を一緒に食べた。
わたしが彼から返信を受けていたのに、なかなか気づかずにいた。
が、待っていてくれた。

いくつか探し、一軒通りがかりに入った店の長崎チャンポンは野菜が多く美味しかった。
わたしは皿うどんにしたが、これも美味かった。(京大農学部前の某まつおというお店)
さらに、その近くに古民家を改装したような森のロッジ風の作りのお店で柚子茶を飲んだ。これもなかなかの味だった(某ぐりら)。
ここにはチラシを置いたラックがあったのでチラシを置かせていただきました。
帰りに郵便局で、今週月曜からずっと受け取れずにいた簡易書留を受け取れた。
また灯油も2缶補充した、ということなど、くだらないことではあるが、こういう日は書いてみたくついなるものだ。

今日は日曜だったことをすっかり忘れていた。