夏的到来

今日は昨日まで厚く垂れ込めていた雲が午後姿を消し、晴れ間が少し続いた。
日射しは強く暑くなって、母の入院先の病院に向かうとき久々にTK川の土手(河岸)の道を通ると、水浴びをしている家族を見かけた。

物干し台から裏山を見ると、合歓木(ねむのき)の花が咲き始めていた。
最近、母の入院先に近いK大学の生協を利用し、ごはんを食べたりしばし休んだりしていて、今日も見舞いの合間に行ってみた。
知る人は知る北部キャンパス、理系の学部が集まっている場所で、本部より人が少なく樹が多い。涼しいのはクーラーのせいばかりではない。
むかし、わたしは仕事で大学関連、つまり出入り業者だった。だから行きなれていたのだが、もともとここは開放されたキャンパスであり、子供の頃も遊びに行った記憶がある。
この大学の北部と本部は今出川という大きな通り(大路)で分割されていて、むかしから通りには古書店やカフェや食べ物屋さんが軒を並べている。
わたしは久々にその通りを自転車で走り、G寺方面へ向かってみた。
かつてよく遊びに行った友人宅の隣が、少し前まで若者に人気のGと名乗る変わった本屋さんがあった。実はその店は名前も変えて移転したのだが、その店の歴史を店長みずから書き下ろした本が出ていて、久々に寄ったZ堂という古書店におかれていた。
軒先の均一本コーナーにいくつかほしくなってしまいつい買ってしまった。
なかになんと内田樹のかなりむかしの本だがハードカバーの『ためらいの倫理学』があった。
文庫で買った本だったが単行本をほしくなってしまった。
この単行本は初版であったが、比較的新しい本なので安かったのだろうか。わたしにはまだまだ古書の値段の付け方はわからない。

もう5年以上前になるが、たしかK大学でわたしは生の内田先生の講演を聴いたことがある。
それを思い出したのはかなりあとだったが、K大キャンパスを通り病院に戻るとき、なんとなく気分が悪くなり、ベンチに座ってその本を読んだ。
たぶん気分が悪くなったのは、昼御飯を抜いたからかも知れなかった。
休みの日はつい邪魔臭く、食事を抜いてしまうことがあるのだった。
たぶん身体はどこも悪くないはずだが、最近健康診断を受けてない。
K大近辺にはむかしから独特の雰囲気がある。それはたぶん昭和の空気、戦後的な空気である。よくも悪くもわたしはそのなかで育った。
たぶん内田先生がよく書いている「リベラル」な空気なのだろう。
戦後70年を経てその空気はかなり薄まってはいるが、この近辺にはまだ濃く漂っている気がする。
時々酸素吸入をするみたいに、訪れたい場所だが、実態としてはそれも少しづつなくなりつつあるのかもしれない。
それはやはり自分でも作り出すというより、作り足さねばなくなってしまうものなのかもしれない。
光合成をして二酸化炭素を吸い酸素をはく植物のように。