村上春樹とサリンジャー〜翻訳語と文化

前回村上春樹の小説から引用した部分〜「出鱈目な年の出鱈目な月の出鱈目な一日だった。…」と主人公の「僕」が語るシーンだが、これほど村上作品の中で怒る「僕」ないし主人公は実は珍しいことに気付いた。

とくにこの短編(この作品はのちに長編『ねじまき鳥クロニクル』の最初の章となり長編化される)より以前に書かれた村上春樹作品の中では、主人公はほとんど感情をあらわにしない。
デビュー作『風の歌を聴け』では、周りの人間、たとえば「僕」の友人の「鼠」と呼ばれる男などは「金持ちなんか糞喰らえ」とわめきちらすし、「僕」が酒場で酔いつぶれていたのを助けた女はひどくヒステリーな振る舞いで主人公に悪態をつく。
ひとり「僕」だけが何を言われても怒らないし、他人との距離を必要以上に縮めたりしない。
ものすごく大変なことを、極端になんでもないささいなことのように書くことで、現実感が遠のく(遠近感が崩れずれる)効果が生まれ、それがいわば村上春樹の独特のトーンを醸し出していたように思う。
現代アメリカのどちらかと言えばエンターテインメント小説やロックやジャズなどのポップカルチャーのスタンスを取り入れ、いわばそれを利用して新たな日本語世界〜かつて誰もそんな文章は翻訳小説以外書いたことはなかった。片岡義男などのエンターテイメント分野に若干の先行者がいるが〜を創造した。

柄谷行人は、初期の村上作品に特徴的なこのスタンスを「ロマンチック・アイロニー」とかつて名付けている。

それは、歴史的な現実を軽蔑し、「アイロニー」、つまり皮肉的に世界と関わる(あるいは関わらない)精神の表れだと批判したのである。
その結果自己は敗北もせず傷つきもしない。
目の前にあるのは、関わるべき現実でなく、あくまで固有名を持たない、名もなく取り替え可能な現実、つまり「風景」でしかないと…。

しかも村上春樹の日本語はアメリカ文学からいわば借りてきた、まだ当時は根付いてない人工的なものだったから、現実がよけい疑似現実に見える。

彼の『ねじまき鳥クロニクル』までの小説は、一部のリアリズム風作品をのぞき(いやそれらの中でも部分的には)、いったん英語になったものから、さらに日本語に翻訳したように感じる文章が多い。
最初にあげたフレーズ「出鱈目な年の…」は、サリンジャーキャッチャー・イン・ザ・ライホールデンなら、フォー・クライスト!(直訳:神よ クソッ!というスラング…これはもしかすると英語の小説の翻訳から広がったわれわれの日常語かもしれない)とかソノバビッチ(直訳:魔女の息子 くそ野郎という意味のスラング)とかフォーレターワーズ(F○CK)を口走りいってこき下ろしてそうだし、イーグルスならワン・オブ・ディーズ・ナイツ(イーグルスのヒット曲『呪われた夜』の原題。意訳:なんてひどい夜だ!)と言っているだろう。
それらのスラングが下敷きになって「出鱈目な…」と書かれているように思える。
元の英語が透けてみえる日本語を村上春樹は書いているのだ。

もともと明治以降の日本語は、翻訳から言葉を作り直し、使われてきているし、なにも村上春樹だけがそうではない。しかし、いわば文章に絶えず、英語(イングリッシュでないアメリカ語)の影がついているような文章を書き始めたのは、村上春樹村上龍がはじめてだろう。
戦後30年たって、風俗そのものがアメリカナイズドされ、ジーパンとマグド(関東ではマック)とコカ・コーラが全国展開完了した1970年代後半にやっと彼らがでてきたのである。しかしその風俗が完全に根付くまでには、あと30年待たねばならなかった。
詩人の田村隆一はかつて戦後文化が成熟するまでには60年かかると言っていた。戦後文化はアメリカ文化にほかならない。
そして、なじむとは、オリジナルのあったこと、つまり「起源」を忘却することと同義である。
たとえば、いまわれわれは自覚せず「マジ?」とか「超」とか言っているが、これはホールデンがよく使っていたreally?やsuperにあたる言葉だろう。
1960年代に日本で最初にサリンジャー第二次世界大戦の最中に書いていた『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を『ライ麦畑でつかまえて』の邦題で、野崎孝氏が訳しベストセラーになったときは、まだ「マジ」も「超」もなかった。
なので「ほんとう?」とか「すごく」とか訳されていた(はずだ。いま原典がなく調べてないが)。
それらは、まだ「マジ」や「超」ほどホールデンのオリジナルのスラングに近いものではなかった。
「マジ」も「超」も、元々の日本語にはあまりないニュアンスであり、そういうことばが現代日本ティーンエィジャーから流付し、2000年代に現代日常語として確立されたのも、われわれの社会がサリンジャーの小説の背景である1950年代のアメリカのスラングが実質的になじむ高度消費社会に変貌してきた証拠だろう。

そうやって風俗が社会現象になり違和感がなくなるまでにおそろしく時間がかかっているだろうが、村上春樹がデビューし人気を得ていた1980年代の日本ではまだまだ違和感があった。
1985年に小泉今日子が「なんてったってアイドル」を歌っていた頃である。
2011年より25年以上前に、いまやっと日常化していることばを書いていたともいえる。

話が脱線したので、その「アイロニー」の話はまた今度…。