全能感(@web)について

 先日、音楽の事を書いたとき、コメントをくださった方と意見交換していて、「全能感」について考える機会を得た。
 そのとき、わたしはあるミュージシャンの、ある種音楽史を刷新してしまうほどの活躍をしたアーチスト、山下達郎やRCサクセション、なんかが、陥ったと思われる「全能感」について考えてコメント欄にそれを書いたのだった。

 「全能感が彼らの音楽を誤らせた」みたいなことを書いた。

 エラそうなことを書いてしまったが、たぶんそれほどビッグなアーチストじゃなくとも、たとえば、ちょっと人気が出たお笑いタレントとか、テレビに出たコメンテーターみたいな大学教授なんかにも、「全能感」は、いやおうなく押し寄せてくるだろう。

 そういうある種の「弱点」を人間は誰しも持っている。

 でも、これって、いちばん僕本人も感じるのは、ネットの中なんですよね。

 いま、こうして文字をつづっているということ、この文字が不特定多数のネット空間にばら撒かれるということに、かなり「全能感」と呼んでもいいような感情を、わたしは感じてしまう。

 たぶん、有名人と凡人の違いは、その不特定多数がマックスかミニマムかの違い、その違いが大きいのですが、感覚としては変わりない。

 ネットは、人間を変えてしまう、というのが、今までブログをやってきている体験上感じる事実です。

 それで変わるような人なんざ、最初からろくなもんじゃない、ということもいえるでしょうが、すくなくとも、そういうアゲアゲの攻撃に強い人と弱い人がいて、弱い人の中に、ネット上でものすごくハイになってしまうタイプの人がいるのではないでしょうかね。

 文字で手書きで書く文章とこうしてネット空間に解き放つことばとの違いは大きく、深く考えることなく、書いてしまえることが、なんと多いか。

 と書いても、こうしたことは容易にはやめられないですね。一度快感を感じると脳は覚えているといいます。

 でも、時々携帯メールから書き込みすることがありますが、そのときは、そんなに意識せず、誰も見てない自分の日記に書き込む感覚があって、不思議です。

 PCに向かうと、おのずと読んでいる人の顔が浮んでしまうからでしょうか。

☆タイトルを変更しました(2016.7.30)