介護なあなあ日常?

またも長く休んでしまい、久方ぶりに日記更新にこぎつけた。どうもようやく春が近づきつつあるから、かもしれない。しかし今朝夜勤の帰り、車で家に向かっていると、交差点ごとに気温が下がってくるのを実感した。ここ岩倉はまだまだ春には遠いのである。平均気温は市内南部と3〜4度は違うだろう。
とりあえず、かなり早く夜があけるようになった。少し前まで家に着いても真っ暗だったから。日差しはここ数日ぜんぜん違ってきて、さすがに昼間は岩倉も「春とうからじ」の感がある。いずれにせよ、なかなか一気に春にはならないものだ。
ブログをさぼっていた一番大きなわけは、やはりいま母の介護をやっているからだろう。

以前からは少しわたしのパートが増えたのは事実で、なにやらやることは無数にあるといってもよい。これはたぶんいままでがぐうたらだったからで、長い間、家の用事をほとんどすることなく、仕事や自分の楽しみにかまけていた罰なのかもしれない。

いまヘルパーさんがほぼ毎日家に来て母の介助をしてくれているが、介護をやっている人は知っているだろうが、介護保険制度には年々様々な制約が設けられ、同居家族が居る場合、べったり介助はできなくなったらしいのである。また時間もケアマネさんが立てる介護プランの時間割りにそった履行が求められ、ヘルパーさんはその板挟みにならざるをえない。

時間は見ているとかなりタイトなもので、うちに来てもらっている方々はそれなりに工夫し、ちょこっと早めに来てくれたり、少しというかかなりタイムオーバーして手厚くしてくれる方もいて、ありがたいのであるが、どうも制度は昔の方がゆるく、ヘルパーさんもいまより自発的に自由にできた部分もあったようである。

短い時間に有効に介助してもらうには、ある程度こっちで用意や準備を怠りなくやらねばならない。それは日々のことで多少は習慣化できているものの、今日のように夜勤明けでもやるべきことが、細かく言えば無数に存在する。
家で、こうして在宅介護されている方が、はたしてどれくらいの比率なのかくわしくは知らないが、介護保険を駆使し、ヘルパーさんやディサービスやショートステイなどを利用しても、そうした様々な煩わしさというものは存在する。いわんや家事に不馴れな男家族である。
だから、ケアマネさんも施設入所を最初すすめてきた。わたしはその辺りの覚悟も技術も未熟だったので、薦めもあったものの、中途半端に在宅と施設をめまぐるしく利用したせいで、母の調子を崩してしまったことがあった。

それはつい最近まで、実質尾を引いた。幸い、いまやっと落ち着いてきたからよいものの、そのことを思えば、ひやひやすり。

と同時に、知らない身と言うのは、若くはなかったが、かくもお恥ずかしいほど青く、後悔しきれないほど愚かにも思える。
しかし、どうもそれが、介護に実質たずさわる家族やスタッフの最初の関門であるらしい。みんなある程度の失敗と後悔の繰り返しから成長し一人前になる、というとお気楽に聞こえようが、仕事と一緒なのである。

これからも、母の介護には様々な難関が襲いかかってくるだろう。また、わたしも、いまみたいな落ち着いた感想にはほど遠く、荒れ狂い、ケアマネさんやヘルパーさんに心のなかで毒づいたりしたことも多々ある。また、実際それを口にしてやりあったことも少なくはない。
しかし在宅を最初に選択したものの、一時施設利用や連続した入退院などの山谷を経て、ケアマネさんもわたしとの数多い面談のなか、意をくみ、いちおう在宅のチームを築き上げつつある。それは、思えば野球チームと同様、一朝一石にはできないものなのである。
今後また変化があるにせよ、わたしにはそれを頼らざるを得ない現状で、保険制度や様々な公的補助のお陰で、それが可能な状況であり、またそれは頼りがいのあるチームであることは、感謝の至りであると言える。
いろんなエリアで、もっと苦しい状況にある方々もあるだろうことを思えば、それは身に余る恩恵であるかもしれない。