月はじめと月末と(超個人的な感慨)

今日は9月末に近いのに、昼間、気温が30℃を越えた。

近頃、学校で生徒が野外で授業中で熱中症で倒れた、みたいなニュースを聞く。9月は、台風が日本列島を通過するごとに、暑い日があった。町では、熱中症ばかりではないと思うが、救急車を多く見かけた。

それは決して他人事ではない。

わたしの母も、昨日急に熱が上がり、病院に運んで緊急入院した。わたしが、車で運んだのだが、普通なら救急車を呼んでもよいかもしれない。

というのは、母はもう一人で座位が保てず、普通の車イスは乗ることができない。車では、シートに座らせてもすぐひっくり返ってしまう。

なので、座位が辛うじて保てる・背もたれが倒れるタイプの車イスしか乗れない。

自動車には、そのリクライニングの車イスごとのせるしか、のせることはできない。

たまたまわたしは、その車に乗っているので、辛うじて運ぶことができた。

熱を出したのは、もう夕食後かなりたってからであった。(ただ、透析治療の関係で、昼御飯が遅く、夕食も遅めになった。)

息づかいが急に荒くなり、何度も咳き込むので、訪問看護師さんに来てもらった。

すると熱発していた(業界用語)。

37.6℃。掛かり付けの病院に電話で相談すると、夜遅いが診てくれるとのことで、看護師さんに手伝ってもらい、車に車イスごと運び込み、病院へ向かった。

その時点では、まだ確定ではなかったが、入院になりそうな予想はしていた。つまり何回か経験しているよくあるパターンだった。

運転しながら、バックミラーで車イスの母をうかがうが、車内は暗く顔が見えない。わたしの気持ちも同じだった。

今回は、月はじめに、同じく熱発し、肺炎の治療をしたばかりだった。幸いというか、できすぎというか、ちょうど「レスパイト入院」と称される・難病患者の家族を休ませる目的の短期入院の二日目だった。

わりと、すぐによくなり、当初の予定通り、10日目に退院して帰ってきた。

そのとき、なぜか、いつもの介護タクシーの手配ミスがあり、タクシーが来なかった。幸い、わたしが車に乗っていって、退院手続きをしに行っていた。車に乗せて帰ってきた。

思えば、月はじめにそうやって帰ってきたのと、真逆だが、似た動きで病院に母を連れていっている、そのことを、運転しながら思わざるを得なかった。

心は暗かったが、それはなんだか不思議で面白かった。

今日、昼から病院で主治医の先生と面談があり話を聞いた。やはり、肺炎らしかった。月初と同じパターンであった。

食事の誤飲、バイ菌が血中に増える、熱発し、せきこむ。

母の熱は、昨夜病院に着き、すぐ測ってもらったとき39℃もあった。

インフルエンザの疑いもあり、検査してもらったが、これはマイナスとのこと。

この時点で母は、空いていた病室に運ばれ、そこで検査のため血を抜かれた。これが、高齢者の場合大変血管が縮んでいて、取りにくいらしく、月初のときは、わたしがたまたま立ち会っていて、その苦労の様を目の当たりにした。

母は、人工透析をしていて、血液の検査は毎月している。その上、今月は、熱発が二回もあり、都度血を抜かれている。

ただでさえ、血の少ない貧血気味のところ、これでは血の生産が追い付かない。

だが、病院にかかる以上、我慢せねばならない。

昨夜は看護師さんに促され、血を抜かれていた母を任せ帰宅した。

思えば、何回こういう経験をしただろう。

帰る前に、入院のための書類を、前に書いたとき、何回も書くので邪魔臭くなり、以前提出前にコピーしておいたものを機械的に書き写しながら、すっかり慣れてしまっていることに気づく。

でも、たぶん高齢者を介護している家族の方は、「あるある」であろう。

先生によれば、母はやはり肺炎だった。今朝レントゲンで胸の撮影をしたらしい。

レントゲンも、月はじめにとっているはずである。何度もX線を浴びるのも、考えようによれば、危険なことなのかもしれない。

しかし、肺炎がこれほど、治ってすぐ発症するとは、正直ショックだった。

たしかに、月はじめは治っていて、レスバイトの予定どおり退院した。ぶり返しみたいに思えるが、そうではないとのこと。

気を抜いていたわけではないが、、ものすごく難しい介護になってきているのだろうか。

先生との話のあと、病室の母を見ると、熱も下がり、かなり寝込むように寝ていた。しんどそうではなかったのが、せめてもの救いだった。

そして、入院用の着替えや用具も、ほぼ昨夜、もしかしたらと思い、持っていったものを置いてきてほぼ揃っていた。

少し慣れすぎていないか。それくらい普通の出来事になっている。

だが、レスパイト入院以外で入院するのは、昨年11月末以来で、ほぼ一年ぶりなのだ。

入院せず、やってこれていたことが、当たり前ながら、すごく珍しいことに感じる。

母も、暑い夏よくがんばってくれていたのだ。

それだからこそ、この天候不順で暑かった9月は、もっと注意せねばならなかったのだ。

秋は怖い、とあらためて思い知る。

(赤裸々すぎるかもしれませんが、わたしが体験している介護のことを、時たまですが、書くことにしました。)