スペイン風邪を書いた大正時代の少女の日記(2020.5.25京都新聞)

久しぶりに夜勤に出た。

それでかなり今朝、午前中寝てしまった。

本来、仕事に行くのに、久しぶりとは、ナニいうとんねん、ていう感じだが。

しばらく、コロナ感染対策の波が、わたしのバイト先にも訪れ、出控え、兼、私事多忙?につき、休ませてもらっていた。

その私事について、あまり人には伝えないようにしていて、変な書き方をここでしてしまった。

先日、前の職場の知人から、なにか勘づかれ、お見舞いのメールをいただいたので、近況を書くと返事した。

むかし、父親がちょうどいまから25年前に他界した。

そのときも、同じような感覚だったろうか。もう忘れてしまった。

しかし確実にそのときとはなにもかも変わった。それはやはり、あり、しかしこのことを、この場でなかなか書けそうにはまだない。

いま、ここに、書くことのできることはひどく限られていて、それは一言でいってしまえば、わたしは、母が亡くなるまでずっと、自分について、まったく気付かなかったことが、あるということだった。

それは、人間は、その人が話したり書いたりする、表面的な見かけに関わらず、時折、内心では、ものすごく深い悲しみがあること、それは決して表からはわからないということだった。

そのことをわかっているようで、全然わかってなかったといま思う。

前回のブログを読んで、「落ち着きましたか?」とメールをくれる知人みたいな人は、尊敬に値する、希な人かもしれない。

(直接お伝えできていず、すみません)。

いったい何を書いているのだろう。

日記なのか半日記というべきか、ブログというのは、近況を書くつもりが、単なる(内容的にはつまらなくないと思う)感慨のみを記すこととなってしまった。

お詫び?に、今日の特筆すべきことをすこし書きたい。

今日5/25付、京都新聞の一面に、なんと、知人が紹介されていた。

見出しは「スペイン風邪 克明の12歳の日記」。

知人が住職をしているお寺に、大正時代に女学生だったご親戚の、当時書き記されていた日記が見つかった。

そのなかに当時流行ってたくさんの死者を出したスペイン風邪の記述があることを、知人が発見し、貴重な歴史的な史料として、見直されているとのこと。

ちょうど100年前の1918年頃、スペイン風邪の全世界パンデミックで多数の方が亡くなった。だがその記録がなぜかあまりないらしいのだ。

わたしはつい最近、前回ここに書いた、NHKのラジオ番組「飛ぶ教室」で、DJをつとめる小説家、高橋源一郎さんが、そのことに触れていたのを思い出した。

記事によると、スペイン風邪は、日本の大正時代、1918年10月に流行したとされている。ところが、不思議と書き記したものが残ってなく、当時出たジャーナリズム的な刊行物にも見当たらないらしい。

源一郎さんは、「忘れられた災禍」だとラジオで語っていた。

一番の原因は、おそらく日露戦争直後の「勝利」に酔った世相にかきけされたというもの。

もうひとつは、ジャーナリズムのあいだで言論統制的な隠蔽が行われたのではないかというものだ。

その点でも、新聞に紹介された、12歳の少女らしい視点で書かれた日記に登場するスペイン風邪は、いまコロナの世界的なパンデミックのなかで、貴重な輝きを放っている。

なんとこの少女が、わたしの知人のTさんの大伯母(お祖父さんの姉)であったという。

今日Tさんと、流行りのオンラインで話す機会があり、それを聞き、急いで新聞を買いに行った。その大伯母さんの写真とTさんの写真も掲載されていて驚いた。

いろんなことがあるものだ。