けいぶん社一乗寺店にあった武田百合子の本を立ち読む

話題の(といっても完全なマイブーム的なノリだが)恵文社一乗寺店を訪問、近くに用事があり、帰りに立ち寄れた。
午後二時くらい、店内は人数で言えば十二三人が漂うように本棚に見入っていたが、図書館のような静けさが微妙に心地よい。
私は昔からこの店が普通の本屋だった頃から来ているが、いまの恵文社になってはじめてきたとき思ったのは、誰かの部屋みたいだ、ということだった。
昔高校から大学浪人した頃、いわゆる本を片っ端から読み始めた頃で、よくお邪魔していた友達の家があった。そこの本棚は、まさに恵文社によくある本哲学書からアートな本まで何百もの主に文庫がところせましと並んでいた。
なんでもその友人の家は一時期学生に下宿として部屋を貸していて、その学生が立ち去るとき本のみ残していったらしい。
かなりな読書家でしかもどうやら文学が好きだったらしい。
一度も会ったことはないが、なんだか存在をありありと感じた…
そこで私はよく本を借りて読んでいた。よく赤ペンで線が引かれていた。
さすがにそのときは手が出なかった本に林達夫全集があった。
恵文社ではちくま文芸文庫の「林達夫芸術論集」があり、なんだか高校の頃に戻った懐かしさと、あの頃何も分かってなかったがいちずに知識を得ようとしていた自分に、いまの自分をどう説明するのか苦笑う。
武田百合子の写真がたくさん載っている本があった。
わたしがこの武田泰淳のワイフであった人の本を読んだのは、村松友視さんが、綾戸智絵のCDの解説に書いていたのを目にして、本屋で見掛け買った「犬が星見た」のみだ。
写真をたくさん見たのははじめて。誰かに似てるなと思うが思い出せない。個性的な美人で昔の人とは思えない。
ああこの方も未来から来た先達(白洲正子について誰かが書いていた)だったか〜と襟をただす。
わたしはたまたまゆえあって今頃学生として東北大にいる友人に、かつて東北大医学部にいた北杜夫の本を送る約束をしてたので、その頃を含め書かれた「どくとるマンボウ青春記」を買う。
他の本屋にはまずない。さすがにパシッとおいてるのがすごい。
北杜夫も昔ははまった作家だった。たしか辻邦夫(旧制松本高校の同窓生)と対談していた本は、例の友達の部屋で借りた本だった。
なかなかなエニシを感じる。
北杜夫こそ、日本においてトマス・マンを最初に血肉化した作家であり、ゲーテから花開いた19世紀のロマンチシズムをはな垂れな私たちに教えてくれた存在だった。
かつての日本はアメリカではなくヨーロッパをアイドルにしていたのだ。
思えば今日はあのグラウンドゼロの日だった。アメリカ文明のひび割れを象徴するあの事件から、刻々と歴史は局面を変えている。
昔の若者はとにもかくにも本はよく読んでいた。
使われ方の問題(マルキスト)もあるが、私も含めいまのひとたちも、世界のことをもう少し、考えていってもいいだろう。(いや考えてないのは私だけなのかもしれぬが)
ただ、そんな時代でも、あの心地よい恵文社の闇はその扉を開けてくれているのだ。
と思って安心しててはいけませんが。

恵文社一乗寺店